後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

自問自答

 久しぶりに図書館で予約しようかと思った本数冊が、けっこうな予約数だったので諦めた。ちょっと話題になっていて、試しに読んでみたいが買いたいほどではないという種類の本なので、考えることは皆同じということだろう。

 出版文化や作者訳者のためを思うと、買いたい気持ちがないわけではない。ちょっと大きめの本屋に行ったときでも、文芸スペースの縮小っぷりには暗く悲しい気持ちになる。べつにそんなに読んでもいないのに、文芸。でもたまに読みたい気分になるときがあるから、滅ぶと困る。

 本を読んでいないと、落ち込む。本を読む集中力や視力が損なわれてきていることに、落ち込む。自分にもう、本を読むという能力そのものが失われつつあるんじゃないかと思うと焦り、読まねばならないという義務感が生じてきて、何か読みたいものがあるわけでもないのに、何か読むものをみつけないといけないような気になってしまう。

 強迫観念かよ。いや、それほど酷くはないんだけどね。

 実際には、だらだらソシャゲやって時間を潰すのも満喫している。イベントのSSR武器は3凸するぞ、とか真面目にやってる。もちろん理性は「そんなことに時間を費やすくらいなら、もっと生産的で実になることに時間を使いなさい」と言ってくる。正しい。わたしの理性は圧倒的正しさを知っている。

 だが知っているだけでは、無力なのだ。

「で? 生産的で実になることって、具体的に何をすればいいの」

「だから、本を読むとかさぁ」

「何を読めばいいの?」

「とりあえず、積んである本くらい消化しようぜ。自分で買ったんだからさ」

「いや、本屋にいると自分を過信して、読めるテンションになっちゃうじゃん。なんかちょっと難しい本でも背伸びしてチャレンジしたくなるじゃん」

「おめーいい歳した中年のクセして『背伸び』ってキモいこと……いや、いいや。背伸びでも何でもいいから、がんばって読めよ」

「でもこのソシャゲのイベントがさぁ……まだトレジャー集めきってないし、キャンペーン中に周回しときたいし……やれるときにコツコツやってないと、あとで後悔するからさぁ」

「……あのさぁ、優先順位間違ってるって自覚ぐらいあるよね?」

「あるよ。でも本は買ってあるんだから、逃げないじゃん。イベントは期間限定なんだよ。そういう優先順位があるんだよ」

 以上、自問自答。 

 こんな書き方をしといてなんだけど、実際はそんなにソシャゲばっかしているわけでもない。周回も飽きるし。理性でやろうと思っていたことをやれない流れを対話にしてみると、こんな感じかなと考えた。

 自分の中で、優先順位が錯綜するのが問題だ。

 前にもわたしが買い物に迷いまくる話を書いたが、それと同じだ。複数の要素が絡んで情報が複雑になってくると、わたしの決断力や判断力は弱くなる。些細なトラブルでも、とても重大で致命的なことのように感じて、体調が悪くなったりするのも根が同じところにある気がする。

 いい加減、もう少しまともな人間になりたいものだ……。