後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

ノートの道も遠い

 猫が鳴いている。この深夜に猫が鳴いている。

 ふとふり返ると、散らかった部屋に我に返る。

 今日は秋らしく過ごしやすかったので、ちょっとやる気を出して、ノートの片づけにチャレンジしてしまったのだ。そしてその途中で、使用済みになったノートを収納するファイルを百均で買おうと思っていたのを思い出し、運動がてらに歩いて買い物に行ったのだ。部屋にノートを散らかしたまま。

 帰ってきて、使用済みのノートは無事に収納した。買い物に行き、ちょっと気力の盛り返したわたしは、そこで片づけを再開するのではなく、なぜか日課の運動をする方にやる気を出してしまった。ノートはそのままになった。

 運動し、汗をかいたので一休みとばかりにネットを始めてしまった。そしてそのまま時間は過ぎ、飯を食い風呂に入り歯を磨き、小説を読んだりゲームをしているうちに、今に至る。

 これからノートを、しまわなければならない。

 わたしにとって「ノートを片づける」ということは、「収納する」ということではない。長らく放置してある未使用のノートに、用途を決めるということである。ノートはすべて同じ収納ケースに突っ込むことにしているのだが、突っ込んでしまうと、どのようなノートがどれくらい余っているのか忘れてしまうのである。だからわたしはノートを収納ケースの上に積んだ状態にしている。見えるように。そして「片づけなくちゃ」と思ったときに、それを部屋に拡げて用途を思案する。それがわたしにとって「ノートを片づける」という意味である。そしてそれは、ここ数年まともに達成できていない。

 溜まったノートを消費するために、わたしはいくつかの用途を編み出してきた。「食事記録」「運動記録」「行動記録」「日記」「雑記」「ゲームの攻略メモ」「読書メモ」「気になった語彙」「思考整理」「ペンの試し書き」……。

 だがそれらの用途は、買い溜めたノートを使うことには上手く当てはまらなかった。「食事記録」と「運動記録」は専用のウィークリー手帳を買うことになったし、「行動記録」は昨日買ったようなリングノート。「読書メモ」は昔買った無駄に厚いノートを使用しているので使い切る先が見えない。「日記」は書くと気持ちが落ち込むので今は書いていない。「思考整理」や「メモ」類はジャンルがバラバラなので後から分類できるようにレポート用紙や余ったコピー用紙を使い、ノートは使わなくなってしまった。

 ……こうして書いてみると、自分でも意味がわからない。

 

 実は前にちょっと自己分析してみたのだが、要するにわたしは「情報の分類と整理」というやつが物凄く苦手な人間っぽい。だから要点を整理したりまとめたり、という用途でノートを使うということが、できない。だから「記録」だけなら毎日淡々とつづけられるし、習慣化もできる。

 文章書くのが苦手、というのもここからきているのではないかと考えた。思考を吐き出すように書き散らすことはできても、要点を整理して再構成するという作業が、どうにもできない。買い物で迷いまくるのも同じだ。選択に関わる要素が複数になると、混乱して決断できなくなる。

 そんな苦手意識があるからこそ、なんとか克服したいと考え、用途をひり出しノートを使い習慣化したい……と思い込んでしまうのだが、その思考回路自体が何かとても間違えているような気がしなくもない。