後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

眼科へ行った+α

 九月も三分の二を過ぎ、秋分の日も差し迫る今日この頃、わたしは目の不調に情緒不安定になるのにも耐えかね、ようやく重い腰を上げて眼科へと赴くことにした。この歳になると自分の精神的なサイクルもわかっている。「病院に行かなくちゃと思っているんだけど……」と不安をぶちまけ、だいたい二週間くらい様子を見て悶々となってきたところでようやく腹を括る、という案配である。

 何事も初期不安というのが一番厄介で、ここでわたしは常に最悪の想像をしてしまう。かすり傷を負えば雑菌が入って死ぬのではないかと思うし、目が不調なら失明するかもと思うし、内臓の調子が悪ければやはり重病で死ぬのかもしれないと思う。メンタルがやばいと精神病院にぶちこまれて隔離されるところまで想像するし、家族が出かけるたびに事故や事件に巻き込まれて死ぬかもしれないと考える。

 考えながら、もちろん理性は「そんなことないだろ、考えすぎだよ」と諫めるのだが、わたしのネガティブな性根は「知ってるぞ。それは恒常性バイアスという目くらましだ。この世で生きている限り絶対はないのだから、どんな不幸がいきなり襲ってきても不思議はないのだ」と唾を吐く。

 唾を吐きつつ、「まあでも、確率的にいきなり事件や事故に遭遇する可能性は低いだろうし、病気も何の因果関係もなく悪化するものでもないから、あまり不安に溺れすぎるのもよくないな」と、反動的に精神のバランスをとるのである。我ながら鬱陶しくめんどくせー。

 で、二週間くらい鬱々としていると、今度はその鬱々から逃れたいという衝動が湧き始め、逆に楽観が復活してくる。「眼科行ったって死ぬわけじゃないし、検診がてらに行ったって損するわけじゃないんだから、行こうぜいい加減……。そりゃ医者と相性悪かったらつらいけど(昔、ずーっと俯いたままブツブツ文句言ってる眼科医に当たって嫌な思いをしたことがあり、またああいう医者に当たったらどうしようという不安がある)、ダメそうだったら他のとこ行けばいいんだしさ、軽い気持ちで行こうぜ」と、ある日、目が覚めて気持ちのセットアップができたと確信したときが、病院チャレンジのチャンスタイムだ。ここを逃すと、また気鬱が過ぎて行きたくなくなるかもしれない。

 それにしても、病院とは、なんであんなに行くのが億劫で恐ろしいものなのだろう。自分に専門知識が欠けているからだろうか。体の不調というものに対して、劣等感や自責を煽られるからだろうか。医師や受付との適切な意思疎通に疲弊するからだろうか。過去に少しでも嫌な記憶があると、それが増幅して定着しているからだろうか。知り合いや親戚が病院でこんなに大変な思いをしたという苦労話が印象に残っているからだろうか。おそらくはそのすべてが原因だろう。難儀である。

 

 そんなわけで、今日は眼科へ行って、念のために緑内障の検査もしてもらって、アレルギーで目が荒れてるとのことで目薬を処方してもらいました。

 ……結局、いつもの結膜炎だった……。ああ、うん。ガキの頃から眼科行く度に言われるんだよね……。よかった、角膜に傷がついてるとか、緑内障とかじゃなくて……。コンタクトもちゃんときれいに使ってますねって言ってもらえたし。

 

 

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 ところで今日こんなメールをはてなちゃんから戴いたのだが、三年以上放置してて最近使い始めたばかりなので……その……戸惑う。