後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

金木犀が香ってた

 今日は、ジャンプを買うついでにコメダ珈琲に寄り、『ジェリコ(元祖)』を味わった。『ジェリコ(元祖)』は美味い。好きだ。レギュラーメニューになるそうで、嬉しい。コーヒーゼリーにホイップクリームを乗せただけの、ドリンクとスイーツの中間みたいな存在。かつてのドロリッチに似た満足感。レシートだけ見ると『元祖』としか書かれてなくて一瞬戸惑う。べつにコメダでなければ味わえない味というわけではないのだが、コメダや星乃は一人でゆったりと読書や考え事ができるので、精神衛生のために利用している。家で一人で考え事をしていると、ストレスで焦り気が変になりそうなときがあるからだ。

 道すがら、金木犀が香っていることに気づく。うわ、もうそんな時期かと焦る。これからどんどん涼しくなる。涼しくなると、布団も夏仕様から換えなくてはならない。めんどくさい。わたしは季節毎に寝具を取り替える作業が、とても苦手だ。ある事情から、家族に気を使ってしまうからだ。作業が苦手なのではなく、人に気を使うことが苦手なのだ。そこまで気を使わなくてもいいはずのことでも、使わずにはいられなくなるから苦手なのだ。要約すると、他人が苦手なのだ。他人とわかりあえない理不尽さが苦手であり、他人の期待感に応えるのが苦手であり、他人と円滑に交流するために費やす精神的な何かが負担で、苦手なのだ。たぶん、内向型とかいうやつだからだろう。よく知らねーけど。他人はわたしには理解できない価値観やルールを持っている。そして、力関係や性格によっては、それを当然のことのようにこっちに押しつけてくる。たいていの場合、関係性が密になるほど、その齟齬は大きくなる。だから他人とはある程度、距離を置きたい。でないと安心して生きられない。

 話が逸れた。

 わたしはコメダで考えた。「行動記録で色んな行動の経過時間を可視化したけど、一向に生活習慣が改善せんな。いや、運動だとか風呂掃除だとかは前よりスムーズに始められるようになったけど、ダラダラ続けてしまう行動を止めるとか、計画性みたいなところはまったくダメなんだよな。つーことは、費やしている時間を可視化する以外の何かが必要なんじゃねーのかな……」みたいなことを。

 その結果、計画性というのは時間の管理なのだというごく当たり前の結論に達し、そこでいう時間とは「制限時間」なのだと、これまた当たり前のことに気づいたのだった。今までのわたしは、時間の管理というものをストップウォッチで計るようなものだと考えていたが、そこにはタイマーで意図的に時間を区切る、というような意識が欠けていたのだ。

 実は昔、それはすでに少し考えていてタイマーは買ってあったのだ。だが、活用せずにわたしはストップウォッチの方ばかりを使っていた。

 ちなみにストップウォッチは、精神の安定にもいい。パソコンが不審な挙動をして、再起動に時間がかかったりすると、わたしは不安とストレスで腹を下していたものだが、ストップウォッチで経過時間を計ることによって、それが緩和された。もうストップウォッチなしでは生きていけない。

 また話が逸れた。

 しかし、タイマー的な時間制限が大事であるということに一度は気づいて、タイマーまで買ったというのにそれを使えていなかったという時点で、「時間を制限して行動を管理する」というのはどういうことなのか、具体的に落とし込めていない気もする。むしろ大切なのはそこから先だろう。

 難しい。多くの人が普通にやっていることを、この歳で今更身につけようと足掻くのはとても難しい。

 まあそんなこととか色々考えて、ジェリコ啜ってた。