後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

十月が始まる

 世間の話題はつらいだけだ。

 本当につらい。具体的に掘り下げたくもないので、あえて語彙を貧しくしたいくらいにはつらい。忘れるためには、楽しいことをしたい。ソシャゲくらいしかする気がしない。嘘。まあ小説とか漫画を読んだり、掃除したり、甘いもの食ったりしていてもそれなりに気は逸らせる。

 逸らせるけれど、それは自分の意識から追い出しているというだけであって、厄介な現実は何も変わらずに、わたしの周りに転がっている。転がっているのか鎮座しているのか包み込んでいるのか、いまいち適切な表現がわからないけれど。それはたぶん、わたしの気分や精神状態によっても変化するのだ。

 一番苦しいときは、身動きもできないほどに圧迫されているように思う。逃れられずに、どこにも行けずに、苦しんで死ぬしかないのだと思う。そう思い込んでいるだけで、あるいは思い込まされているだけで、違うのかもしれないけれど、一番苦しいときにそんなことの違いを考えてる余裕はない。ままならない。

 まあこういう文を吐き出せているときは、わりと余裕はあります。前向きな方です。

 しかし、個人的なことから、地域的なことから、社会的なことから、大小それぞれの「ああ~コレつらいなぁぁ」な事が重なっていて、なんか目を覆いたくなる。そんなときはネットなんかやらん方がいいのだけれど、それはあくまで個人的な精神衛生のためにはなっても、不快な情報さえ目に入れなければ世は事もなしとなるほど、世の中は安全ではないでしょう?

 目を背けて安寧を手に入れられるのは、目を背けて何も考えなくても生きられるくらいには足下の地盤が安定している人だけで。たいていの人間は目を閉じ耳を塞いだら、そのまま死ぬかもしれんしね。

 

 ところで、もう十月だ。十月の良いところを考えよう。新アニメがたくさん始まるじゃないか。楽しみにしていたタイトルもある。だがしかし、わたしのテレビの録画用HDはそろそろ空き容量が足らなくなってきている。録画するには古いものを消すしかない。悩む。

 近所の閉店した飲食店の跡地に、新しい店がオープンするのもちょっと楽しみだ。過ごしやすい店だったら、頻繁に通えるし。まあ立地的に、そうゆったりはできなさそうだけど。

 あと、気になっていた映画もやる。うん、久しぶりに映画を見に行こう。また交通費と飲食費とついでの買い物で悩んだり後悔したりするだろうけど。

 そうだ。本も予約したんだ。これは楽しみというより、自分に対する課題のようなものだけど。読むこと自体は嫌じゃない。ただ、読書時間をうまく扱えていない感じなのが落ち込むだけで。

 

 けれど、それが終わったらどうしよう。それが期待外れだったらどうしよう。わたしはまた新しい楽しみを探さなくてはならないだろう。どのみち、そうして騙し騙し生きていくしかないのだけれど。楽しみ探しが義務でしかないのなら、わたしの生の喜びとはどこにあるのだろう。いや、無いんだけれど。無いからこうして常に焦るように何かを探しているのだけれど。