後悔記

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『ドリーム(Hidden Figures)』の感想

 映画『ドリーム』を見てきました。

 原題は『Hidden Figures』。公開前に、あまりに内容と合ってない邦題だと話題になったことをきっかけに知り、「へー、面白そうだなー」と興味を持った勢です。(要するにコンセプトが響いたんだな)

 もともと、お仕事ものの痛快なエンタメが好きなんですよ。こう、普段見ることのできない専門家とか職人の内幕を、門外漢の観客が見ていてもほどよい情報量で臨場感を伝えてくれて、ユーモアがあり、湿っぽくなりすぎないけど心温まる人情ドラマがある。加えて社会的なテーマも真摯な感じに伝えてくれて、見終わった後に明るい気持ちになれるようなエンタメ映画。

 いいですよね。とくに心が弱っていると、泣ける系の感動作とかよりそういう作品が見たくなります。なんというか、さすがハリウッドはその手の王道ドラマに長けてますね。安心と信頼がある。(映画に詳しくないので、大雑把な認識なのは自覚ある)

 まあ冒頭から終わりまで、しっかり作られてますわ。テンポよく、飽きず、音楽も軽快だし、キャラクターもそれぞれのエピソードもはっきりしている。とても見やすい。「考えてみたら、まだコンピューターもない頃から宇宙に人飛ばす競争してたって凄いな」とIBMが導入されるエピソードで思わされたりするのも面白かったです。

 

 この映画を見た人が「60年代なんてそんなに大昔でもないのに、あの時代にもあんな差別があったのね」というような感想を洩らしてました。そうなんですよね。100年も前のことではないし、こういう映画を作れる当のアメリカにも禍根は残っているし、偏見や差別や格差がなくなった社会というのは、まだ存在していないわけです。そういう意味ではこういう素敵なフィクションを堪能した後ほど、いつも複雑な気分にはなります。まあ、だからこそこういう作品が求められて生み出されるし、国を超えて共感される物語になるのでしょうけれど。

 

 この作品に出てくる差別は、主に職場の格差や不平等としてあらわれているんですね。そもそも、NASAで働ける能力を持った人たちのお仕事ドラマですから、差別といっても露骨な暴力や暴言とかはありません。服装の規定だとか、管理職に昇進できないとか、職場近くのトイレを使えないとか、コーヒーポッドだとか、必要な情報を扱う会議に参加できないとか、能力に対して不当に低い評価だとか、日常のなかで具体的に描写されるので、親近感があって共感しやすくなっています。(それだけということもなく、他にも時代背景として色々見せていますが)

 そうした差別的な扱いを「普通のこと」「当たり前のこと」「決められていること」と思い込んでいるのも同じNASA勤めの人たちなので、たとえ知性の高い優秀な人たちであっても、自分たちの偏見や無関心に気づくのは難しいのだな、ということを伝えてきます。上手いですね。その理不尽に挑んでいく黒人女性たちも、自分たちの知性や度胸で戦っていくので、とても爽快感があります。

 つまり「悪意のない偏見に基づいた、不合理で非効率的な不平等」という形の差別がが是正され、スッキリするカタルシスを得られる物語なわけです。

 

 とはいえ、差別というテーマ性に対しては「じゃあ彼女たちほど天才でも有能でもないマイノリティーはどうすればいいの?」とか「ロケットの技術も結局は軍事力として利用されるものだし、お国のために役に立つから素晴らしい、みたいなところにはツッコミ入ってないんだよね」とか「『合理的』とされがちな差別については?」等の引っかかりも、人によってはあるだろうなと思いつつ。まあ物語の焦点をどこに置くかという問題なので、複雑なテーマの全部盛りをするのは難しいだろうし、結論としては見てよかった作品でしたよ。

 帰りに寄ったカフェで、隣の人が感想や解釈を熱く語っていたのも面白かった。