後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

夢の話

 今日は久しぶりに早めに起きたので借りてきた本を読んでたのだが、昼過ぎにどうしても眠くなってきて、20分ほど寝た。コンタクトしてるから本当は寝ない方がいいんだけど、5分おきくらいに目を開ければ問題ないってことにならないかなとか思って。

 それにしては変な夢を色々見た気がするけれど、覚えていない。まあ、覚えていない方がいいんだろうってぐらい、不快な夢はよく見る。

 夢の中に出てくる見知らぬ人と、なんか知り合いみたいに話しているのは目が覚めると不思議になる。誰なんだ。べつに芸能人とか有名人とかでもない、本当に知らない他人。だからといって、知り合いや家族が出てきた夢も大概ろくなもんじゃない。

 現実を反映したストレスの夢ばかり見る。家が燃えたり沈んだり腐敗したり、なんか犯罪者に狙われたり。狭いコミュニティーの対人関係やコミュニケーションの齟齬に悩んだり、やろうとしたことが何をやっても失敗して焦ったり、移動しようとすると場所や道がどんどん変化して迷ったり。恥をかいたり死にそうになったり、歯が抜けたりガラス片を吐いたり。部屋が汚物塗れになったり、虫塗れになったり。他の人はどうなんだろう、そういう夢を頻繁に見るものなんだろうか。歯が抜ける夢とかは、ストレスのあらわれとしてよく聞くけど。

 子どものころは、悪夢を見ることがあまりに怖くて、眠る前に神様に祈っていた記憶がある。ということは、その頃から悪夢は見ていたのだなとは思うけど、同時に楽しい夢や美しい夢も見ていた気がする。もうここ二十年以上は、ストレスを反映したパターンの夢を見ると、夢の中で「ああ、またこれかぁ」と客観視するようになってしまった。

 それを明晰夢と呼ぶことはだいぶ後になってから知ったが、わりと普通のことだと思っていた。自分の脳内で起こっていることなので、自覚すれば自分の望むように変えられるという説もあるようだが、わたしはあまり上手くいったことはない。なんというか、夢の中で意識はできても、コントロールするのは難しい。感情を操作しにくいのと同じように。それまでの悪夢への嫌悪感や恐怖感が強すぎると、自分が意識することによって更に悪化する可能性もあるな、と考えてしまうのだ。考えてはいけないことを考えまいとすると、余計にそのことについて考えてしまうという現象だ。

 「これは夢だ、空を飛ぼう」と高所から飛び降りても、わたしには空を飛んだ経験などないので、落下する。落下の感覚なら遊園地のアトラクションなどで体感したことがあるからだろうか。夢の中の墜落感はなぜかリアルだ。仕方ないので、わたしは飛ぶのではなく、ジャンプで移動することを覚えた。滞空時間が妙に長く、着地点が危うくて、夢の中なのに気持ちの悪い感覚になる。あまりジャンプもしたくないのだが、そういうときはだいたい追われていて逃げなければ危ない状況になっている。夢だと分かっているのに、状況そのものが変えられない。

 なんか、夢の中でも自己コントロールが下手なのかなと考えると落ち込む。