後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

おでんの選択

 今日は寒かった。まだ十月だというのに、十二月のような気温だという。こうも天気の悪い、寒い日ばかりが続くと、秋の気候がどういうものだったのか思い出せなくなりそうだ。冷えてくると温かいものが食べたくなると、テレビでもおでんを取り上げていた。

 我が家の夕食も、おでんだった。ちくわぶ、大根、コンニャク、昆布、牛すじ、卵、ちくわ、がんもどき、餅入り巾着、タコ……。そういえば、家のおでんに牛すじが入るようになったのはいつ頃だったか。子どもの頃にはまだ牛すじというものの存在すら知らなかったし、ちくわぶもコンビニおでんでしか味わったことのない珍味だったという記憶がある。そして子どもの頃にはよく入っていた銀杏は、最近はあまり食べていない。おでんの具スタンダードも時代と共に変化する。最近は、お試しのようにミニトマトが入っていることもあった。まあ基本は鍋なのだから、出汁がしみて美味しい物は何でも合うのだろう。

 父は夏でもおでんを食べていた。コンビニで、いつも決まった具を選んだ。どんなに様々な具のバリエーションがあろうとも、必ず自分のなかの定番を選ぶ人というのはいて、こういうタイプの人は迷わないので羨ましい。わたしはいつも、迷う。事が複数選択になると、余計なことばかり考えてしまうのだ。

 好きな具材は決まっているけれど、それだけというのもどこか寂しい。たまには新しいものに出会ってみたいし、今まで食べたことのないものが、実は意外に美味かったりしたら損じゃないか。そんな風に考えてしまう。結局は、欲が深いのだと思う。損をしたくないのだ。自分の選択を間違うことが、怖いのだ。

 好きなものを選ぶなら、ちくわぶと卵は外せない。練り物は、嫌いではないけれど好きでもないので優先順位は低い。大根、もそんなに重視しない。最近美味いと思っているのは、タコと牛すじだ。しかし我が家のおでんはどうしてコンニャクが多めなのだろう。昨日の豚汁にもけっこうな割合で入っていた。それほどコンニャクが好きという家族もいないのに、不思議なことだ。

 自分一人で好きなように作って食うのなら関係ないが、店で売っているおでんや家族で食べる鍋物は、必ずしも自分の好きなものばかりで構成されているわけではなく、定番やバランスというもので成り立っている。我が家のコンニャクは、おそらく重視はされていないが、なくてはならないバランサーのような扱いなのかもしれない。

 めんどうだな、と思うのは、この「バランスよく選択しなくてはならない」という意識が、一人きりの自由なはずの選択のときにも働くからだ。わたしは卵とちくわぶを選ぶぞ、と決める。しかし、次に何を選ぼうかというと、迷う。三番目に好きなものを欲するままに選ぶか、栄養やバランスを取るか。たまには、いつもは選ばないものにチャレンジ精神を発揮してみるか。

 人の脳は選択肢が多いほど、自分の選択に自信が持てず迷い、ストレスを感じるものだという。それを知ったときには「そうかよかった。そういうことに悩んだり迷ったりするのは自分だけではないのだ」とホッとしたが、身近に何の迷いもなく自分のなかの定番のみをさくっと選べる人を見ていると、こんなことで迷う自分は駄目なのではないかとまた考え込んでしまうのだ。