後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

髪を洗う

 故障していた我が家の給湯器がようやく直ったので、○日ぶりに頭を洗えた。嬉しい。

 嬉しいが、ちょっと間を置いただけで容赦なく抜ける髪の毛の残骸にぞっとした。以前も事情があって髪が洗えなかったとき、かなり抜けたので覚悟はしていたが、実際に目の当たりにすると衝撃がある。

 今よりずっと頭髪を洗う頻度が少なかったと思われる昔の人たちは、どうだったのだろう。衛生事情が現代とはまったく違うということは知識では分かるが、実感として捉えられるかというとまた別だ。もしかして、老若男女みんな頭皮は脂ぎっていて、抜け毛も多く頭髪が薄かったりしたのだろうか。栄養状態も悪かっただろうしな、うん。

 子供の頃のわたしはずぼらだったので、頭を洗うのが好きではなかった。なぜ人類はみな丸刈りやスキンヘッドにならないのだろうか、と思っていた。その方がスッキリするし、面倒くさくなくていいのに、と。

 実際、髪をバッサリと切るようになってから生活が楽になったと言う人もいる。そりゃそうだろう。髪の毛を清潔に、あるいはお洒落に維持するコストは金も時間も手間も、それなりにかかる。しかしわたしはくせ毛なので、中途半端に切ってしまうと逆に手入れが面倒なことになるために、ある程度の長さは維持したいのだ。美容師さんに、いっそパーマをかけたらと薦められることもあるが、普段の手入れが億劫な人間が、パーマかけたからといって楽になれるわけでもない。我が家は全員ほぼくせ毛なので、ストレートパーマや縮毛矯正があまり効果がないことも、もう思い知っている。

 それに、スキンヘッドにしたら寒くて風邪をひいたという人の話も聞いたことがある。そうか。髪の毛って、やっぱり頭を保護するために生えてるんだよな。スッキリはするけれど、良いことばかりではないのかもしれない。いきなりなくなったら、その落差に体もビックリするだろうなと納得した。だが、思い切った選択ができることは羨ましい。

 歳をとれば、人の毛髪はいずれ抜けたり細くなって、薄く白くなっていく。それは男女変わらない。子供の頃にはわからなかった、髪のありがたみを感じる歳になってしまった、と実感するとちょっと落ち込む。