後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

読め、と自分に言い聞かせ

 図書館から借りてきた小説本四冊をほぼ一週間で読み切れたので、自尊心がちょっとだけ回復した。

 へたに難しい本なんかを背伸びして借りてしまうと、「う、うう……なかなか頭に入らない。読み終わらない。返却日まであと○日……」と、呻きながら読む羽目になる。ちなみに、近年では化学系の専門書と政治史の本が、読み切れず挫折した。専門用語と固有名詞についての知識が足りなかったのが敗因と思われる。悲しい。

 その点、小説はいい。時系列の流れがあるので、それに沿っていけばだいたいの本は読み終えることはできる。……理解できたかとか、血肉にできたかとかは考えてはいけない。

 しかし、小説を読むのは楽しいかというと、そうでもない。昔は楽しかった。生きがいのようにしていた時期もあった。だが、今ではわりとある種の苦行に挑むような、覚悟や心構えが必要な行為になってしまった。だからこそ逆に「読まねばならない」という思いが強くなり、ちょっと自分は何やってるのかな? とも思うのである。

 ブログを書くのと同じだ。映画や美術展を見に行くのも同じだ。純然たる好奇心や、楽しみのために動く気力がない。どこかで義務として、自分に「やれ! 行け! 慣れろ! 取り戻せ!」と発破をかけないと動けない。それ自体はわたし自身の意思なのだが、動機がどうにも不純な気がする。

 だって何も面白くはないし、楽しくもないのだ。

 しかし、面白がりたいし、楽しくなりたいのだ。

 べつに無味乾燥なままで生きていたいわけではない。

 本を手に取り、読もうとする気力が回復しただけでも、自分はましになってきたと実感するから、今度はそれを手放したくない。

 まあ、それでも読めば面白い本はある。本は面白いのだ。ただ、本を読むという行為に対する個人的なハードルが、不自然なほど上がってしまっているというだけで。これも老化なのかしら、などと一人きりなら思ったかもしれないが、母はわたし以上に本を読み映画を見て楽しんでいる人なので、ここで歳を言い訳にすることもできないのだった。