後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

コートを買わねばならない

 近々、親族の葬儀に出ることになるかもしれないのだが、家族に指摘されてようやく気づいた。喪服の上に着るような冬用のコートってある? と。

 ない。ないよそんなん。考えてみたら、法事やら何やらはだいたい初夏だったので、冬にそういう事態になったことがないのだ。こいつは盲点だった。というわけで、近いうちにコートを見繕いに行かねばならないということになった。憂鬱である。

 コートかあ……そんなもん十年以上まともに着た記憶がない。しかし、これから先も必要ないとは言い切れない。ああ、気づきたくなかった。この社会性の欠如。将来の憂鬱。コート一つでわたしの精神状態はどっぷりと暗くなる。

 ここまで落ち込むのは、わたしが個人的にコートというものについて個人的に良くない記憶を引きずっているからである。思い出すだけでつらい気持ちになるので、ここで文章にもしたくない。いや、客観的に見ればべつにどうでもいいことなんだろうけど、わたしの気持ちの整理がつけられない話なのだ。

 コートなぁ……コート。まあ、あればあったで着ることもあるだろうし、まったく無駄になるということはないだろう。親族の結婚式のために、そのとき一度しか着ない服をわざわざ買ったよりは。その頃、もう何もかもどうでもよくなっていて、ただその日を無事に過ぎれば何でもいいやと周囲の流れに任せて生きていただけだった。いやー、あれからまだ生きてるんだな、自分。そう考えると不思議なものだ。まさかそこから先が真の地獄だとは思わなかったもので。

 いかん。せっかくコートに対して肯定的に考えようとしてみたのに、逆にまた別の嫌な記憶の引き出しに手をかけてしまった。なぜわたしの思考回路はこうなのだ。疲れるよ自分でも。

 そうそう、どうせ買うなら寒い冬の普段も着られるような、素敵なものを探そうよ。……いや、ダメだ。そんなふうに期待値を上げると買い物はだいたい失敗するんだ。知ってるぞ。服を買う行為は、今現在の自分自身のフィジカルと徹底的に向き合うメンタルが必要になる。試着し、鏡を見る。これだけでもかなり精神力を必要とするのだ。そしていつも値札を見ては「うわぁぁ~」と落ち込み、自分自身の姿を見て追い打ちをかけられ、しかし必要だからもうここら辺で手を打とう、みたいに妥協して疲れ果てて家に帰る。そして部屋で広げてまた「うわぁぁ~」と、なるんだ。

 まあ一番きっついのは、買い物に同行することになる身内の不機嫌に付き合わされることだったのだが、ここ数年はそれからは解放されているだけは精神的負担は少ない。だから過去の記憶よりはしんどいことにはならないはずなのだ。たぶん。しかし、記憶によって痛めつけられたわたしの精神が、とにかく何かを不安がらせ憂鬱にさせる。

 そんな感じだけど、近いうちがんばってコートを見繕いに行こうと思います。まる。