後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

運動はつづけたい

 コツコツと運動を続けてきたのに、ここ最近は体重が増えるばかりで嫌になってきた。二年かけて減った腹回りも、すっかり元通りである。意味がわからない。

 体重にしても1、2キロ、腹回りにしても数センチの話なので、誤差といえば誤差のようなものなのであるが、日々の運動がもしかしてまったく何の効果もないただの自己満足的な徒労なのかもしれないと疑念を抱きはじめると、一気にモチベーションというやつが底を突く。

 不条理だ。この世界は不条理で理不尽で残酷だ。

 そう嘆きたくもなるが、もともと負荷が足らないという自覚はあるので、半分本気だが、半分は単なる八つ当たりである。ただでさえ体は中年の坂道を転がり落ちているのに、ちょこちょこ気休め程度の運動をしているくらいで理想の体を手に入れることができると思うのは勘違いというものだ。わかっている。ちゃんと自覚がある。

 だがやはり、何か目に見える成果がないと虚しくなってくるのも事実。手帳に記録をつけるなどして、「自分はこれだけのことはやったのだ」と可視化するようにはしているが、それもあまり効果がなくなってきた。

 だがここで運動をやめるわけにはいかない。習慣化は成功しているので、ここでやめるのが怖いという状態にはなっている。頻度が落ちようが、負荷が足りなかろうが、「何もやらないよりはマシ」なのである。

 わたしは基本的に嫌気のさすようなネガティブ人間であるが、何か自分で自分を褒められるとしたら、自分で設定した目標は達成しようという意欲はわりかし長持ちする、というところではないかと考えている。まあ、あるのは意欲だけなので実際には行動できずに悶々としているだけのことも多く、それは一般的に言うダメ人間なのであるが。それでもひとつの目標を長く持ちつづけていると、あるときふと有益な情報や発想に巡り会い、解決や変化の糸口がみつかることもある。みつからないこともある。

 そういう些細なものをなんとか少しずつ積み上げていくしかない。たとえ無駄だとしても、人はいつか必ず死ぬとしても、その過程で何もしないというわけにはいかないのだもの。

 と、また大袈裟な気負いを自分にいいきかせ、また明日から運動はつづけようと思います。つづくといいな。