後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

指を切って思い出す

 コップを洗っていたら手を滑らせ、割ってしまった。

 このブログを始めてから、一回小鉢を割ったことがあってそれを書いたことがあるが、二度目である。形あるものはいつか壊れる。

 そのコップというのはわたし専用のもので、キリンの『世界のキッチンから』シリーズのペットボトルを二本買うとオマケに貰えるものだった。ドラッグストアの飲料売り場に置いてあり、数種類の柄がある中から好きなものを選べた。シンプルだけどわりとかわいいデザインで、わたしは気に入っていた。

 割ってしまったのは惜しいけれど、あまり残念な気持ちにならなかったのは、それなりに使って柄が剥げてきたり、汚れで曇ってきてたりしていたからだろう。オマケで貰ったものだし、じゅうぶん使った気もするから、さほど未練はなかった。

 しかし、それで指を切ってしまったのはいただけなかった。最初は痛みもなく切れたことにすら気がつかなかったが、血が出ていることに気づいてようやく怪我をしたことを自覚した。右手の中指、薬指側に、二ミリ程度の傷が二ヶ所できていた。ほんとうに些細な傷にしか見えなかったのだが、意外に深く切れたのか、なかなか血が止まらない。さすがに絆創膏を貼っておくことにした。

 指を切るのも久しぶりである。べつに痛みはないし、傷も小さいからすぐに治るだろうとは思うが、よく使う利き手に違和感があるというのはなかなか煩わしいことなのだ、と思い出した。

 そういえば、わたしは子どもの頃から二十年以上慢性的な手荒れというか湿疹に悩まされてきたのに、数年前に家をリフォームしたらぴたりと治ったのだった。以前は、わたしの指はいつも痒くて寝ている間に掻きむしり、血が滲み、水疱ができたり潰れたりの繰り返しで面倒だった。皮膚科に行って薬をもらってもまったく改善せず、医者にも一度、「アレルギーのようだが原因は不明」などと言われ、ステロイド系の強い薬をずっと使っていた。その後べつの医者に行ったらある程度の説明はしてくれ、「基本的に治るものではないが、生活の変化などで良くなることもある」みたいなことを言われて、手荒れとは一生付き合わなければならないものだと思っていた。

 それが急に改善したのは、おそらく、畳やカーペットがなくなりフローリングになったからではないだろうかと今では考える。一度家を出て、別の部屋で暮らしていたときも治らなかったから、これはもう住環境は関係ない体質のせいなのだと思い込んでいたが、思い返してみるとそこも畳の部屋だったのだ。

 あれほど長い間手指の不調に不便な思いをしていたのに、ここ数年はその感覚を忘れてしまっていたのだから、人間の適応力というものは面白いというか現金だなと思う。喉元過ぎれば熱さを忘れるのだ。

 しかし体の不調や不具合は、これから先もなるべく忘れたままの状態でいたいものだ。