後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

排水口を掃除する

 昨日は身内Aの手によってきつく締められてしまっていた風呂の排水口のパーツを無事に外すことができたので、今日はそれを洗うことにしたのだった。

 パーツが外せなくなったことと解決したことは家族に話していたので、もしかするとAは昨晩のうちに、何らかのアクションを起こしているかもしれないなとは予想していた。そして実際パーツを外してみると、それは当たっていた。昨日見たときは汚れていたパーツが、洗われていたのだ。脱力する。

 いや、べつにわたし以外の人間がそこをきちんと洗ったり掃除したりしてメンテナンスしてくれるのなら、それはそれで構わない。だがAは、家の中の自分が気になったところだけの管理は厳密に自分ルールで処理管理したがるが、それはいつもどこか抜けているし、A以外の人間にとっては逆に不便で使いづらくなることが多い。そしてそれを指摘されると、めちゃくちゃに荒れてまともな会話が成立しなくなる。わたしはこれに疲弊した。それで何度か激しくやり合ったので、向こうもこちらを怨んでいるだろう。

 実は排水口は、昨日外せなくなったパーツの下にもうひとつ小さいパーツがあって、掃除するときはこのパーツも外して洗い、ついでに底に溜まっているドロドロの汚れも掻いて流して処理するのだ。Aはそれを知らなかったのだろう。パーツだけを洗って、その下にまで手を付けた様子はなかったので、中は汚れの溜まったままだった。

 風呂の排水口は、初めこそわたし一人が気づいたときに洗っていたのだが、わたしがそこを洗っていると知ったことで、対抗心なのか何なのか、Aもそこを気にするようになったのだろう。そして、外せなくなるほどパーツをきつく締めつけていたのだ。

 「なんだかなぁ」と、虚しくなった。そんなに自分以外の人間が家の中のことをやるのが気に入らないのなら、まともにやってくれればよいのだが、実態は逆なのだ。Aがそのこだわりを持って家の中のことをやるたびに、わたしや母はそれを修正するという手間が増えで面倒なのだ。

 Aは自分のやり方にこだわるので効率が悪く、むしろ悪化させることも多い。しかし自分が失敗したことは頑なに認めず、しまいには怒りだす。自分以外の人間にも自分と同じルールを求めるが、そのルールを明文化して伝えることもできない。こちらがどのように振る舞えば納得するのかと聞いても答えず、むすっとして黙り込み無視する。そしてこちらがAの理想とするルールを外れると、Aとは関係ないこと(わたしが自分で飲むためのコーヒーを淹れること)にすら横から口出ししてきて、従わないと不機嫌になる。

 まあ他にも色々あるがありすぎて、それはここで書いても仕方のないことだ。思い出すだけでもうんざりして疲弊してくるので、本当はこういうことは書かない方がよいのだろう。だが、まったく触れずに済ますのもなんだか欺瞞があるような気がするし、難しいところである。

 いや、難しくしているのは自分なのか。なんかよくわかんないや。