七草粥を食べた
一月七日なので、我が家でも七草粥を食べた。
七草粥というのは、胃を休めるためのあっさり味なので、それだけでは味気ない。わたしはつい塩を足してしまい、健康食のはずなのに健康に良くないな、と毎年思いながら食べる。
春の七草、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ……と、子どもの頃に学校で暗記させられた記憶があるのだが(当然もう覚えてはいないので調べた)、どうして暗記させられていたのかはよくわからない。しかも、大学のゼミでも秋の七草まで覚えようみたいなことがあった。(日本文学科だったからだろうけど)しかしなぜそんなに七草を暗記しなければならなかったのか、今となっては謎である。
セリとナズナくらいは、植物、食材として認識していたが、以降のゴギョウハコベラ……になってくると、なんだか念仏のように思えてくる。要するに、言葉の響きだけで覚えさせられていて、その実物をよく知らないのだ。
そして、スズナとはカブのことで、スズシロとはダイコンのことだと知ると、「だったらカブとダイコンでいいじゃないかもう」という気持ちになってくる。ゴギョウは御形でハハコグサで母子草と書く、みたいなことを知っても、ちっとも頭に入らない。来年にはきっと忘れている。
おそらく昔の人は、それらを直接穫りにいっていたのだろうけれど、今の七草粥に入っている七草はすでにひとまとめにセット売りされていたり、フリーズドライになっている緑の粉だったりするのだ。ひとつひとつ認識する必要もない。ゲームの中で必要なドロップアイテムになったり、擬人化されてキャラクターにでもなったら覚えやすくなるだろうけど。
こうした風習は、いつまで残り続けるのだろうか。残すべきなのだろうか。よくわからない。我が家でも大晦日には蕎麦を食べ、正月にはお節料理と雑煮を食べる。しかし、もう鏡餅は飾らなくなったし、節分の柊鰯もやらなくなった。
やってもいいしやらなくてもいいし、どちらでもよいものだとは思うが、なんとなく全廃する気にはなれないものがある。べつに積極的にやりたい理由はひとつもないのに。そうして日本人は、土用の丑の日にはウナギを食べつづけてしまうというわけなのだろうか。