後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

悪夢について考えた

 良質な睡眠をとることは、健康のためにとても大切なことだという。ツイッターなどを見ていても、その手の健康に関する啓蒙のようなメッセージが目に入る。

 それはわかっているのだが、今日はいつになくエグい悪夢を見てしまい、一度目が覚めた後もしばらく現実と夢の境目がわからず、耳鳴りが人の罵声に聞こえて体調が悪くなった。いつもなら、目が覚めたなら体の方も夢から切り離されてしまうのだが、ここまで夢の嫌な感じを引きずってしのまったのは初めてだった。 

 耳栓をするようになったことと、寝る前にあまり考え事をしないように意識することで、寝付きは前よりもだいぶ良くなった。しかし、悪夢を見るか見ないかは、自分の意思ではどうしようもない。

 わたしは子どもの頃からかなり鮮明に夢を見ることが多かったので、寝る前には「今日は怖い夢を見ませんように」と神様に祈っていたことがある。さすがに幼い頃だけのことだったが。

 悪夢はわりとダイレクトに自分のストレスや不安、不信、恐怖心のあらわれなので、抑止しようがない。最初は悪夢でも、見ている途中から気の持ちようで面白い夢に変わったりもするのだが、いつもそうなるとは限らない。

 「日中に体を動かして疲れていればぐっすり眠れる」というのも、あまり正しくはないことが最近はわかってきたそうだ。そうだろうなぁ、早起きして体動かして疲れた日でも、べつに眠りの質がよかったことなんてないものなぁ。

 悪夢を見て不安な気持ちになるのは、それが自分の脳が見せたものだということがわかるからだ。夢は現実ではないが、夢にあらわされる不安や恐怖は、生々しく現実のわたしのものなのだ。それを不意打ちで夢で再生されてみせつけられるのは、しんどい。

 解決しようのない、脳に擦り込まれた不安や恐怖を、これからも何度も何度もくり返すのか。いずれわたしの認知能力が衰えてきたときに、その境目が完全になくなってしまうかもしれない。そう考えると憂鬱である。

 これに対処するにはどうすればいいのだろう。やはり瞑想のような、脳を落ち着かせる訓練だろうか。あとは生活習慣の改善か。まあそんなところだろうなぁ、と考えた。