後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

受験の思い出という名の傷口

今週のお題「受験」

 わたしの通っていた高校は、生徒も教師も「県内最底辺」と自虐するくらいには、ゆるい感じの県立高校だった。大学に進学するのは毎年五人もいない。行くとしても私立。ほとんどは就職か専門学校、もしくは短大。進学コースを選択した自分たちは、校内ではマイノリティーだった。それを「この学校の上澄み」と呼んでくれた教師もいたけれど、聞かされたこちらとしては背中が痒いというか、「県内最底辺校の上澄みだしなぁ」と、「他の生徒に失礼じゃない?」という気持ちが混じりあった。

 合格した、と担任に報告すると、メチャクチャ驚かれた。合格するとは思っていなかったらしい。なんでも、わたしは何を考えているかわからない奴だったそうで。「そうですか。いや、自分でも何をどうすればいのかわからなくて、あなたに相談する方法もよくわからないから、自分のできる範囲でやれることをやってみただけですよ」と思ったけれど、上手く言えなかった。

 なにしろ、わたしは勉強ができなかった。勉強の方法を知らなかった。これはわりと大人になってから気づいたことだ。塾に行ったこともないし、わたしの親もあまり「勉強しろ」と熱心には言わない人たちだなぁと思っていたけれど(母親は少しは言った)、なんのことはない、両親も勉強の仕方がわからない人たちだったのだ。

 これも大人になってから気づいた。

 ただ、わたしは本だけは読んでいた。中学時代は、テレビも見ずに本(と漫画とゲーム)ばかりだったので、友達に流行の芸人やCMの話題を振られても知らず、「知らない」「嘘だ、知らないはずない」と対立してしまい、そこで初めてテレビを見ていないと友達とコミュニケーションできないということに気づいたくらい、色々と疎かった。

 そんなわけで、よくあるパターンとして、文系教科だけは勉強しなくても成績は良かったのだ。そう、わたしは受験合宿などに参加してみたものの、英語や数学はまったく意味がわからず歯が立たないことを理解し、不得意教科はすべて捨てた。そして、得意教科のみでなんとかなりそうな推薦入学をしらみつぶしに調べ上げたのだった。受験まであとわずかという時期、教室に置いてあった資料だけを頼りに。

 とても心細くて不安な精神状態のまま、薄暗い教室でひとりでページをめくり続けたのを覚えている。それから、進路指導室にあった過去問で傾向を調べた。そしたら受かった。それだけだった。

 誰も受験のやり方も勉強のやり方も教えてはくれなかったし、教えてもらうためにコミュニケーションをとる方法も知らなかった。今から思うと、まったく無知で無力な子どもだった。

 教師が話してくれた大学についての話で覚えているのは、「大学に進学できたら、親友をつくれ」とか「学生運動がお祭りみたいで楽しかった」とか「昔は地方から上京してきた学生がよく自殺していた」とか「学習院で一度皇太子殿下を見たことがある」みたいな雑談ばかりだった。わたしの記憶の偏りも、大概である。ろくなことを記憶に残していない。

 その後、後輩に対して受験のアドバイスをしたり相談に乗る場に参加してほしいと高校に依頼された。わたしが自分のしたことを一通り後輩に説明すると、その年は同じ大学に二名も合格者が出た。わたしは、「あー! わたし程度が考えたやり方で合格できたようなことすら、この学校は意識していなかったのかー!」と、混乱した。

 まあ、そんな抜け道的なやり方で大学に行ってどうなったかというと、色々あって人生はだいたい詰んでいるので、正直受験なんかせずに就職していればよかったなと思う。