後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

雪の日の体力気力

 本日は雪が降った。予報通りだから驚かない。しかし寒い。寒い。

 わたしの部屋の暖房器具はエアコンしかないので、寒いと霜取りのためによく止まる。止まるときのピキピキという音がまた、精神的によくない。壊れたらどうしようかと思う。しかし、けっこう長い間この安物のエアコンを使っているが、まだ壊れたことはない。幸いである。

 おかげで最近は、寒い日にエアコンが止まるのも慣れてきた。どうせ霜取りの間だけだし、そんなときは「着る毛布」でも引っ張りだすか、運動して体を動かせば、とりあえず寒さはしのげるのである。夏の暑さよりは対処できる。

 子どもの頃は雪が降ると珍しくて嬉しかったし、テンションも上がった。そこら辺は普通の子どもだった。外へ出て友達と小さな雪だるまを作ったり、雪合戦もやった。今から思うと、なんでそんな体力気力が充実していたのだろう。子どもってすごい。

 しかし、それも子ども時代のほんの一時のことで、中学に上がった頃には雪は寒くて億劫なものに変わる。そもそも、中学生になると学校指定の服装をしなければならないので、小学生よりも防寒の選択肢が格段に減るのである。考えてみると、わりとアホらしい。そして雨が降ろうが、雪が降ろうが、台風が来ようが、自転車通学だ。今から思うと、なんでそんな体力気力を費やして通えていたのだろう。学校嫌いだったのに。

 高校生になると、更に離れた場所、大通りは車の通りが激しく危険だというので、その横の畑のあぜ道なんかを自転車でこれまた毎日毎日通っていたわけである。雪の中、三十分かけて自転車を漕いで、なんとか学校にたどり着いたら、今日は雪で休校だと教えられて、また三十分かけて帰ったこともあった。視界の悪い帰り道で、停まっていた車にぶつかって転けた。今から思うと、なんかヤケクソだったのかなとも思う。しかし確実に体力気力はあった。もう戻れない。

 年末、雪が降っている中、外仕事をしていたこともあった。雪対策の格好はしていたが、靴の中が濡れてぐしょぐしょになったまま作業をした。あの日は、一仕事終わったはずのところで、また大量の余計な作業を追加され、その始末に追われて大変だったので、よく記憶に残っている。今から思うと、まだその頃はそれに耐えられる体力気力があったんだな、と懐かしくすら思う。いや、その仕事はきつかったけど。

 こうして雪の日の記憶を引っ張りだしてみると、どのときのわたしも、今のわたしよりはだいぶマシに思える。そして今のわたしも、数年後のわたしから見たら「まだマシだよ」ということになるのか、どうなのか、不安なところである。