後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

六ヶ月だよ

 ところで、ここ数日なぜかアクセス数が増えていて謎なのである。「お題」を書くと多少は増えるのだが、最近になって増えている原因がわからない。今日(二七日)に至っては、記録更新である。

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 また例の本の感想に来ているのかと思いきや、割合としては二パーセント減っている。謎である。単に固有名詞が増えたから、検索に引っかかる量も増えたというだけだろうか。ちなみに、日頃の平均は三から八といったところだ。

 まあ、考えても仕方ないか。

 

 このブログを始めて、とうとう六ヶ月になった。

 六ヶ月ということは、半年。一八三日である。一応、三ヶ月に次ぐ自己目標を達成できたということになる。ここはちょっと自分を褒めてもいいんじゃないか? と思ったが、わたしの心は弱いので、そう思った次の日にはもう何もかも嫌になって投げ捨てているかもしれないので、やっぱやめとく。

 いくつか習慣化を試みた経験から、わたしは毎日こなすことに苦痛がなくなってくるのが三ヶ月、習慣化できたと思ってよい区切りが六ヶ月だと見込んでいる。

 数年前、偶然視聴した放送大学で、病気の人に運動習慣をつけさせる目安として『行動変容は六ヶ月』というような一文を見たことがきっかけだった。そのときに思ったのだ。「そうか……もしかして、結果や中身はどうあれ、ただ毎日六ヶ月つづけるというだけでも、習慣化は成功するのか」と。

 読んではいないが、なんか最近目にする『小さな習慣』というやつも同じような発想っぽいな、と気になっている。

 「何か自分にとって有意義な習慣を身につけたい」などとぼんやり思っていても、「有意義」の重さに引きずられて、何もできなくなるという状態にわたしも陥っていた。しかし習慣というのは、本来それだけではただの惰性であり、無意味にも思える、成果の見えにくいものなのだと見方を変えれば、さほどハードルを高くしなくてもよいのかもしれないと思えてきたのだ。

 そんなわけで、食事記録をとり、運動を始め、行動記録をつけ、ブログを始めた。それは今でも持続している。しかし、持続しているだけなのである。食事記録と運動をつづけていても、べつに痩せないし体重は増えたし、行動記録をつけてもダラダラネットをしたりゲームをするのはやめられないし、ブログを半年書いても文章は上手くならないし書くのが早くもならない。

 ある意味、スッキリした。

 やっぱり、ちょっと今までとは違う習慣をつけたところで、人はそんなに変わらない。変われたら苦労はしない。

 だが、そうした小さな習慣は無意味かと言われれば、意味はあると思う。意味はあるが、それはとても個人的で些細な、自己満足の変化にすぎないのではないかと思う。そして自己満足は大切なのだ。