後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

言葉と病って関係あるの?

 気がついたら、オリンピックが始まっていた。

 光陰矢のごとし。まったく自分は何をしていたのだろうと、虚しくてならない。

 体調が悪いのか、じんわりと頭痛がしている。落ち込みが酷い。こんなときはダラダラとネットをやってしまい、目に入ってきた情報に更にストレスを掻き立てられイライラするという悪循環パターンに陥りやすい。

 そう、だいたいのことはわかっている。わかっていて、それでもやってしまうのだ。

 昨日カフェで食った季節のフレンチトーストも、それほど期待するような味ではないだろうと知っていた。レギュラーのフレンチトーストよりも二三〇円高いそれは、コーヒーと一緒に頼むと、セットの割引でも千円超えてしまう。憂さを晴らし、考え事に集中するためだけの一時間半に払う金としては、無計画で割高だ。結局、自分の愚かな選択に自尊心が傷つき、自己肯定感がすり減っていた。

 そんなダメージを引きずったままツイッターを見ていたら、コレが目に入った。

gigazine.net

 言葉についての話なので、つい気になって考えてしまった。一瞬、この記事を見たときは「自分っぽいな」と思ったのだが……。

最も興味深いものは代名詞の使用方法にあり、「自分」「自分自身」「私」など一人称の代名詞を多用することが判明したとのこと。

逆に「彼ら」「彼女」など三人称の代名詞はほとんど使用されないことが明らかになりました。この結果から、うつ病の人々は自分自身に強く重きを置いており、他者とのつながりが少ないことを示しているとのこと。

 どうなんだろうな。たしかに自分、「わたし」「自分」というワードは多いけど、それはこのブログではあまり他人のことや世間のことは書きたくないからであって、結果として自分のことを書くしかネタがないからでもある。

 三人称の代名詞は、確かにあまり使わない。しかし、英語と日本語という違いがあっても、その傾向は同じなのかな。違うのかな。

 他人とのつながりが少ない、というのは当てはまるが、それは鬱以前の問題のような気もするし。まあ、普通に考えて鬱になったら社交性も低下するだろうし。「示しているとのこと」と言うまでもない気がする。

研究者によると、うつ病の人は白と黒をはっきりさせたい思考を強く持っていると考えられ、「絶対主義的な言葉」を使っている人の有病率は「不安とうつ病のフォーラム」では約50%、「自殺念慮フォーラム」では約80%とかなり高い値となっていたとのこと。

 「絶対的な言葉」……わりと使う。けれど、それはわざと大仰に断定するという修飾としての効果を狙ってのことでもある。しかし、わざわざそんな修飾を多用するということ自体が鬱の傾向があると言われてしまうと、否定はしきれない。実際、毎日精神状態は晴れやかとは言い難い。すぐに死にたくもなるし、鬱傾向はあるだろう。しかし、それも慣れきると自分にとっては「ふつうの状態」だ。

 ……このように、わたしはわりと断言を避ける傾向もある。

 なんだかよくわからなくなってきた。そもそも、鬱の人が多用する言葉がわかったからといって、何がどうなるんだ。『「絶対主義的な言葉」の多用が見られるときは、「うつ」を再発させる兆候であると指摘されています。』と言われても、兆候がわかれば再発を防げるものなのか。

 とにかく、世の中には、色んなことを研究している人がいるなぁ、と思ったのだった。