後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

ペシミスティック・バスタイム

 風呂に入ると、たまに記憶が飛ぶ。

 すでに顔や体を洗ったことを忘れて、「あれ? ひょっとしてコレ二回目?」と思いながらも、石鹸や洗顔料を泡立て洗いはじめてしまったので、二度洗う。

 あー、無駄だなー。お湯も石鹸も勿体ないなー。洗いすぎは皮膚にも悪いのになー。と思いながら。

 なんでそんなことが起こってしまうのかというと、風呂タイムは考え事が捗るからだ。古来から、人は風呂に入ると思考が整理され、よいアイデアが湧きやすいらしい。たしかギリシャの有名な人も、風呂で「エウレカ!」とかなかったんだろ、そうなんだろ。信じるならば。

 有名な人、誰だったっけ、と気になったので調べたら、アルキメデスだったそうだった。しかしこのエピソード、いったい何で知ったんだっけな、覚えていない。昔の子ども向け学習誌か何かだったかな? 漫画だったかな?

 とにかく、そうして考え事に気を取られて漫然と風呂に入っていると、自分がついさっき済ませたことも忘れてしまうということが、たまにある。さすがに、そう頻繁にはない……と、思うけど。そこは記録を付けているわけではないので、断言はできない。

 自分では「考え事に気を取られて」のつもりだけれど、ボケの始まりだったら怖いな、と想像することもある。なんでも、認知症は発症する二十年前から始まっているらしいので、わたしはすでにその範囲内だ。老年になるまで生きる気があるのなら、今からなるべく脳に良い生活を心がけた方がよい。

 運動し、ものごとに好奇心を持ち、新しいものに手を出し、人と交流し、会話をし、指先を動かし、本を読み、ストレスの少ない、フレッシュな、老廃物を溜めこまない脳みそにしていかければならない。

 ここまで列挙すれば、もうオチは想像つくだろう。

「……いや、無理。自信ない」

 がっくりと項垂れたい。

 自分で自分の老年期を想像すると、だいたい神経質で、世の中のことや身の回りのことにすぐイライラして、理屈っぽく意地悪な、悲観的で傷つきやすい、そういう老人になっている気がする。

 というか、今でも十分そんな感じな自覚はある。それが更に病で悪化し、手が付けられないことになってしまったら、しんどすぎる。気をつけなければいけない。気をつけたところでどうにかなるのか、という問題はあるが、何も意識しないよりはマシなんじゃないかと思う。思いたい。

 いやまずは、たまたま風呂で二回顔や体を洗ってしまったくらいで、認知症の不安を考えてしまう自分のネガティブさをどうにかしなきゃいけない。