後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

過去の雑文

 自分が昔に書いた文章のファイルを読んでいたら、いつの間にか時間が過ぎていた。今の自分から見ても面白い文章もあれば、なんじゃこりゃな出来もあった。何が書きたかったのか、もう思い出せない断片的な文章もあった。

 こんなに沢山書いていたのに、何一つまとまらなかったなぁ、と思う。

 文章としては出鱈目でも、自分自身で書いたものなので、読めばいろいろ記憶も刺激されて面白い。たぶん、自分だけが面白い。

 古い文章のなかには、まだパソコンを買う前、ワープロで書いていたものもある。一台目が『書院』、二台目が『OASYS』だった。『OASYS』のフロッピーディスクの読み書きができなくなってきて、救いだせなかった文章も多かった。それらはフロッピーディスクという物理的な形で、処分された。

 あれのなかには、鬱になっていたときの自己分析と感情をかなりの勢いで吐き出した、今から見ればなかなか(自分が)面白いんじゃないかという文章が入っていたのだが、当時はそれを印刷し、パソコン用にスキャンしておくような余力がなかった。

 印刷するにも、インクリボンはすぐに尽きて、金がかかった。安いので感熱紙に切り替えたが、世の中がパソコン主流になっていくと店にあまり置かなくなり、感熱紙を買うのも面倒になった。しかも感熱紙は時間が経つと印字が薄くなってしまうので、保存するにはコンビニへ行ってコピーするということまでやっていた。結局、経済的でもなかった。

 データの互換性なんてなかったから、印刷したものをスキャナーで一枚一枚読み込み、画像として調整し、付属のOCRソフトでなんとかテキストにしていた。付属ソフトなので精度はよくなく、これまた全文をいちいち目視しながら元データと比べ、手動で修正していた。今から思うと、よくあんな面倒くさいことをやったなぁ、と思う。

 まあだって、やっぱり長い時間かけて溜めこんだものを、失ってしまうのはなかなか惜しかったし。当時は、今よりも色んなことに執着があったから、根気のある作業ができたのだろう。

 残しておいたところで自分以外は見ないし、その気になったら消去してしまう程度のものかもしれないけど。しかし、このパソコンにもそれなりに溜まっている、それら過去の雑文はどうすればいいのかなぁ、とたまに考える。

 処分のタイミングに迷うよね、という意味で。