後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

土産でカロリーオーバー

 昨日と今日と、二日連続で菓子パンを食べてしまった。よくない。

 菓子パンは安くてカロリーが高い。そのお手軽さから家族がよく買ってくることもあって、家にあればついつい食べてしまう。たまに食べるのならいいのだが、連日で食べたのがさすがに響いたのか、また体重が増えていた。

 ここ数日の運動量が減っていたことも影響しているだろう。体調管理というものは、とにかく面倒くさい日々の積み重ねがすべてだ。

 そういえば、昨日は昼食もパンだった。焼きそばパン。ついでにとチョコバーも食って、それから家族が買ってきたフォンダンショコラパンとかいうのも食べてしまったのだから、そりゃダメだ。そして今日は……白状すると、菓子パンを食ったというのに、和菓子まで食べてしまった。

 なんでも家族の言うことには、「この前食べた桜餅の皮がべちょっとしていてあまり美味しくなかったから、今度は美味しい和菓子屋さんの桜餅を食べたくなった」そうな。そこでなぜ、一人あたり二個も買ってきてしまいますか。一個は明日にとっておくとしても、なるべ早く食べないといけないと思うと、食べてしまうではないか。

 これは誘惑に屈したというより、義務感に流されたという感じだ。一応、土産として「美味しいものを家族で分けあおう」という気持ちで買ってきてくれたものは、無碍にはできないし、美味しくいただいておきたい。だから食べないわけにはいかない。

 いや、ちょっとはまあ「食べたい」という気持ちもなくはないけれど。しかし、とくに積極的に食べたいという思いはないのに、家族が買ってきたものは食べなくてはいけない気がしてしまうのは、やはり我が家のあり方というか、教育のせいなのだろうか。

 たまに、あまり好きではないものやそれほど食べたいと思えないものを、「いらないから食べて」と家族に断ることもあるのだが、やはり少し罪悪感のようなものを感じてしまうのである。

 父はわたしが子どもの頃、よく「食べ物の恨みは恐ろしい」と話していた。具体的にどういう状況で、なにが恐ろしいのかはわからなかったけれど、とにかく「だから食べ物はみんな同じ、平等にしなくてはならない」ということだった。

 平等というと一見よいことのように思えるが、そこには個人差という概念がなかった。父は、胃袋の大きさや、好きな食べ物は人によってそれぞれ違うということを、まったく聞き入れてはくれなかった。父が振る舞う、父が良いと思うものを食べてわたしたちが喜ばなかったり、食べる量が少ないと、いつも自分を否定されたかのように不機嫌になった。

 そんなわけで、「家で用意されたものは食べなくてはいけないもの」という意識が未だにあるし、大皿に盛ってある料理をみんなで分けることになると、その配分が平等かどうか、ハラハラしてしまうところが残っている。