後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

あれから七年

 母がどこかへ出かけているなーと思ったが、いつものことなので別に気にしていなかったのだが、震災関連の映画を見に行っていたらしい。そういえば、今日は三月の十一日だった。そして母は福島の出身だ。

 そして母は、そこで売っていたらしい福島の米を買ってきて、栗御飯にして、夕食に家族で食べた。なぜ栗御飯なのかというと、前に買っておいた栗御飯の素が、使う機会がなくしまいっぱなしだったからだそうだ。しかし、味が淡泊すぎて物足りなかったので、塩昆布を足して食べたら美味しくなった。我が家はいつも胚芽米やら雑穀米やら玄米やらを食べることの方が多いので、白米は久しぶりである。べつに健康志向でそうしているわけではなく、味が好きなだけなのだが。

 震災のことは忘れていたわけではないし、むしろ忘れられないことの方が多いが、毎年「あれから何周年」ということを時事的に意識するほど自分のなかで重きを置いているわけでもない。それでも、あらゆる事象はいまだに現在進行形であり、何ひとつ終わったことなどないし、これからも続いていくのだろう。

 あの日わたしは何をしていたかというと、具合が悪くて寝ていた。横になっていたところにグラグラと大きく揺れ出して、通常とは違う精神状態だったのが逆によかったのか、「なんでこんなときに、こんな大きな地震がくるんだよ!」と、恐怖よりも理不尽に対しての怒りが勝った。

 家にとくに被害はなく、私用の鏡が割れてしまい買い換えたのだが、新しい鏡は使いにくくて、あまり使っていない。その鏡を見るたびに、「あー、地震で割れた鏡が懐かしい……あれと同じやつ、どこにあるんだろ」と思う。

 震災についてのあれこれは、しばらくして福島に行ったときに親戚からも色々と聞いたし、瓦礫の積まれた海岸も見てきたけれど、それを上手く文章であらわせる自信はないのでやめておく。

 個人的には、その後にあった私的な家庭のあれこれの方がずっと深刻だったし。そういう転機のようなものが、ちょうど色々重なっていて、忘れられない年になっているのだ。

 そんなわけで、わたしが「あー、あれからもう七年も経ってしまったのか……」と思うときには、震災に限らず、きわめて私的な諸々の事情が入り混じっている。思い返してみると、二〇一二年から一四年あたりが地獄で、一五年あたりから少しはマシになってきたけれど、未だに何一つ解決していないし改善もしていない、という感じだ。

 生きていると、ほんとうにどうしようもないことが起こるし、起こりつづけるし、今も起こっているのだなぁ、と無力さと共にしみじみ思い知った七年間だった。