後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

絵を描きすぎた

 今日は久しぶりに、絵を描いていた。ずーっと描いていた。気がつくと、五時間くらいほぼぶっ続けで描いていた。よくない。わたしには、こういうところがある。なんというか、気分のムラが酷いのだ。

 描かないときは数ヶ月描かない。しかし、描きはじめて興が乗ると、ずっとそればっかりになってしまう。しかも、落書きばかりで完成しない。そう、この放っておくとあっちこっち散漫に飛びまくる思考と同じように、絵も、思いついたものを描き散らし、飽きたらまた別のものを描くという繰り返し。

 絵ばかりではない。何事もそうだ。思いつきばかりは色々出てくるが、それを一度吐き出してしまうと、そこから先へは行けない。止まってしまう。あれもこれもと手を付けて、すべてが中途半端。そんな感じだ。

 いやしかし、五時間。自分でも、意識していなかったので驚いた。ソシャゲを何時間も連続してやるときですら、途中でちょっと疲れて休憩するものなのだが。こういう習性を、もうちょっと何か有意義なことに生かせないのだろうか。そう自問するが、「無理だな。それができるなら、こんな人生送ってない」と脳内で答えが返ってくる。

 わたしにとって、絵を描くという行為は何なのだろう。創造的という感じがまったくしない。浪費というか、逃避だろうか。没頭していられるから楽なのだろうか。いやしかし、絵を描くのが楽になってきたのは最近で、その前はけっこう苦しい時間も続いていた。リハビリのような気分で、わたしは絵を描いていた。

 昔はもっと楽しかったはずなのだ、と思いながら描いていた。楽しかったはずのものが、苦痛になってしまったことが虚しくもあり悔しくもあったので、それに固執したところもある。だから上手い下手よりも、「楽しかったはずの気持ちを思い出したい」という一念だった。

 正直、「ああ、これはけっこうよく描けたんじゃないかな」と思っても、次の日に見ると、だいたい粗が見えてきて落ち込むのである。そういうものである。文章も同じだ。自分で描いたものだから愛着がないわけでもないのだが、出来については目を背けたくなる。そういうものである。

 出来不出来はともかく、問題は、その作業に費やしている時間をコントロールできないということなのである。

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 せっかく絵について書いたのに、何も絵がないのもアレかなと思ってブログ用に描いた。十三分で描いた。こういうことをしてしまうところがダメなんじゃないかなと思う。