後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

窮屈な世界

 久しぶりにマクドナルドに行った。雑誌を買うついでに漫画と文具の補充をするため、駅前に行ったのだ。

 五月は花のきれいな季節でもある。こんないい季節に、自分は何をやっているんだかなぁと思いながらも、久々の商業施設に寄りながら、そこにも微妙な変化があるのを知る。駐輪場が新しくなっていたり、新しい飲食店ができていたり。

 しかし、いつもの「本と文具も売っているレンタル屋」は相変わらず品揃えはよろしくなく、目当ての漫画も雑誌もなかったので、ペンとジャンプだけ買ったのだった。文具売り場を眺めたとき、ある変化に気づいた。値札が新しくなっていると共に、ペンの試し書きコーナーがなくなっている。

 なくして正解だよなぁ、とわたしは思った。前から、試し書きコーナーとその周辺はかなり汚かった。これは文具売り場あるあるだ。試し書き用の紙がきれていると、なぜかその周辺の棚にまで落書きされていたりする。そうなると、売り場に置いてあるペンもなんとなく汚く見えたり、インクが無駄に消費されている気がして、買う気をなくしてしまう。

 そうして値札などを新しくしてまだ間がないのか、ペンケースのコーナーを見て「あ、ちょっと欲しいかも」と思ったら、そこには値札がなく、値段がわからなかったので結局買わなかった。

 その後、マクドナルドに寄り、セットを注文し、ドリンクはカフェラテのMを頼んだ。今はもう、ちゃんとガムシロップの追加も言える。新しくなったというカフェラテを飲むのは初めてだが、たしかに前よりは美味しくなっていると感じた。主観かもしれないが、肯定的な感想は大事にしたい。

 そこで読み途中の本も少しだけ読んだ。しかし、途中から入ってきた小さなお子様たちが、とても騒がしかった。まあ、マクドナルドでは、タイミングが悪ければそういうこともあるだろうとは想定していた。

 親は大変だろうなぁと思いつつ、端から見ているとちょっと面白いところもある。最初は妹らしい子がものすごい声で喚いていて、兄らしい子がそれを「迷惑だから」と諫めようとしているのだが、しだいに兄の方もつられてしまうのだ。

 親に注意されれば、またぐずって声を上げるし、しばらくしてご機嫌になれば、兄妹そろってはしゃぎ回る。子どもというのは、本当に気分のころころ変わる生き物だなぁと思う。大人はこうはいかない。もっと引きずる。

 そうして生の子どもというものを見ていると、つくづくフィクションに出てくるような子どもは嘘だよなぁ、と感じる。(まあ、創作はだいたいもっともらしい嘘なのだが、そのもっともらしさの落差が大きいというか)というか、リアルな子どもは、とてもドラマや物語の一員として機能しない。筋道を理解せず、ただ自分の気分のみで動いているように見える。不満があっても、まだそれをうまく言葉にできないし、思うようにいかないことがあれば、泣いたり叫ぶことでしか自己表現ができない。

 子どもであるということは、気儘なようでいて、実はとても窮屈な世界にいたような気がする。