後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

記録をやめる

 気がついたら、行動記録用のノートが尽きていた。ページは今日でお終いだ。数日前から、もうすぐ終わりそうだと気づいていたけれど、あえてページをめくらずに済ましていた。

 もういいかな、と思った。

 なにが「もう」で、なにが「いい」のか。やめてもいいかな、と考えた。

 正直に言うと、もう面倒くさい、という心理がある。それをもう少し掘り下げると、記録を取ることの意義がわからなくなり、モチベーションが下がった、ということになる。

 行動の記録をつけるということには、勿論メリットもあった。自分の些細な行動時間が可視化されるということは、行動の予定をたてやすくなるということでもある。いつも行っている店までの移動距離、風呂掃除にかかる時間、食事にかける時間、爪切りのタイミング、掃除機を何日前にかけたか。これらが客観的にわかる記録が手元にあるというのは、ちょっと心強い。

 想定外の効果もあった。苦手な暗算が、できるようになった。といっても、簡単な足し算引き算程度のものだが、それですら以前は苦手だったのだ。それが、経過時間をなるべく電卓を使わずに計算するようにしてみたら、頭の中で数字の繰り上がり、繰り下がりを捉える力が上がった。やった。中年の脳みそでも、毎日使っていれば鍛えられるのだ。

 しかし、記録をつけるようになった当初の目的は、あまり達成されていない。つまり、生活習慣の改善である。結局、できていない。二年以上やって効果がなかったのだから、記録をつけるだけではダメなのだ。

 おそらく、記録だけでは視野が細かくなるだけで、俯瞰しきれていないのだ。「この空いた時間に風呂掃除でもしておくか、五分くらいだし」と、さっと判断できるようになったのは、たぶん記録をつけた成果だ。しかし、「今日は○時までには寝るぞ、寝るったら、寝られればいいな……」みたいな目標に対しては、まったく無力だった。

 そんなわけで、わたしは尽きそうなノートを買いには行かなかった。いつも買っていた店が焼失してしまって、面倒くささがよけいに増したということもある。

 しばらくは、記録をつけなくてもいいかな。つけたくなったら、また再開すればいいんだし。そんなふうに考えた。