後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

安眠がほど遠い

 新しい枕が届いた。折りたたむことによって、枕の厚さを調整できるというものだ。以前使っていた枕は、わたしに合わないものを騙し騙し使っていた状態で、なかなか寝付けなかったり、しょっちゅう寝起きに頭が痛くなったりしていた。しかも、それを「枕が原因では?」と認めるまでにも、時間がかかった。

 昨日まではタオルを重ねたものを枕にして、なんとか過ごしていたが、ようやく枕として作られた枕が来たのである。期待と不安が交錯する。

 しかし、デカい。それが現物を見た第一印象だった。折りたたみ式なので、ふつうの枕の倍大きさがある。タオル枕を試した結果、今までの枕は高すぎたのだと体感した今、この「折りたたんで高さを調整する部分」そのものが邪魔なのではないかという不安が膨らむ。切り離しとか、できないのかな、と思ったけれど、できないらしい。

 これで眠るのか、眠れるのだろうか。カバーは一応二枚買ったけれども、安い方のカバーはなんか感触があまりよくない。高めの肌触りがよいものを二枚にしておくべきだったのだろうか。使用する前から、そんな後悔に近い感情が湧いてくる。

 タオル枕も、「これくらいが丁度いいかな」と納得できるまで、数日かかった。この枕もすぐに慣れるとは思えない。そんな挑むような気持ちで新品の枕を見据える。

 首は痛くならないか、頭痛はしないか、寝付けるか、寝返りはしやすいか、手入れや洗濯はしやすいか、匂いは、感触は……あれこれ考えていると、一向に買う気になれない枕。しかし、これがなくては睡眠できないのだ。ある意味、命や健康がかかっている。

 眠る、ということに不安や恐怖を感じはじめたのは、いつ頃だろうか。不眠とは違うけれども、子どもの頃から眠るのは苦手だった。闇は怖いし、意識があるとつい怖い想像をしてしまうのも嫌だった。ある夜、ふいに「自分も、いつか必ず、死ぬのだ」と真面目に考えてしまって、ちょっとした恐慌状態になった。また今夜も悪夢を見てしまうのでは、と考えると、眠るのが怖くて「今日は怖い夢を見ませんように」と神様に祈らなくてはならなくなった。冷房のない夏の二段ベットの上は暑く、汗だくになりながらなんとか眠ろうと耐えた。耳元で蚊が飛んだり刺されて痒みで目を覚ましたときは、地球上からの蚊の絶滅を願った。同じ部屋に寝ている身内が、悪夢にうなされて大声で寝言を言い出したのも怖かった。認知症になった祖母が真夜中に泣きながら部屋に入ってきたときもビビった。冷房のある部屋に移ったら、今度は畳に布団だったので、身内の寝相の悪さに安眠を妨げられた。

 ぐっすりと、心地よく安心して眠れるという睡眠のポジティブなイメージが、わたしには欠け過ぎている。安眠、それはわたしにとっては見果てぬ理想郷のようなものだ。理想すぎて、まったく現実のイメージが湧かない。

 べつに起きていてそんなに楽しいことがあるというわけではないのだ。「寝なくてはいけない」と考えることが苦痛すぎて、ついついわたしは眠ることを先延ばしにしてしまう。