後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

自分のサイクル

 折りたたんで高さ調整のできる枕を試して二日目、たぶんこれがベストな高さであろうと結果が出た。それはやはり、本来は調整のために折りたたんで使う部分のみを枕として使うことだった。

 つまり、本来枕の本体として使用するべき部分、厚みのある半分がまるっと不要ということになる。そのために、ベッドにやたら邪魔な枕の壁が突き立った状態になってしまった。虚しい。虚しいが、眠れないよりはマシなので、もうこれでいい。

 話は変わるが、ここ三ヶ月ほどサボりがちになっていた運動を少し再開したら、あっという間に筋肉痛になってしまった。これもまた虚しい。わたしの二年以上の努力は、三ヶ月で無に帰した。そのくせ、ちょっと体を動かすと、たちまち食欲だけは湧いてくるのだ。

 当たり前のような日々の健康を保つということの、難しさ。ちょっとバランスが崩れただけで、人の体は衰え病む。

 今日も、急に左目が痛くて涙が止まらなくなったと思ったら、抜けた睫毛が目に入っていた。ソフトのコンタクトレンズならそこまで痛くはならないのだが、ハードはとても痛いのだ。家にいたから、レンズを外し睫毛を除去できたが、これが移動中だったりしたら、とても怖い。例えば、車を運転しているときに目にゴミが入ってしまったらとても危険だ。想像するだけでゾッとする。まあ、あまり運転はしないのだけれど。

 そして気がついたら六月。月の初めになると、「今月はもう少しマシに生きたい」などと思ってしまうのだが、その思考自体が抽象的で現実逃避な気もする。もう少し、地に足の付いた、具体的な目標をみつけなければならない。

 しかし、これまでのパターンだと目標を達成しても「達成はしたけれど、これが一体何になるっていうんだ……」と、まったく達成感を得られずに終わるということもよくあるので困る。自分で自分を褒めるという機能が衰えているし、他にわたしを褒めてくれるような存在がいるわけでもないので、自信やモチベーションを保てず、「自分は何をやっていたのかよくわからない」と混乱しはじめる。そして数年間持続できたことも「あー、もう嫌だ。何もかも嫌だ」と疲れてやめてしまう、というパターン。そしてまた時間が経つと、「よし、またやってみるか」の繰り返し。

 不毛ではあるが、そういうのが自分のサイクルとして身に染みてしまっている。いっそ、このサイクルが自分に合ったペースだと開き直るしかないのだろうか。そんなことを考えてしまう月の初めだった。