後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

走り回った京都

今週のお題「修学旅行の思い出」

 中学の修学旅行は京都だった。高校はどこへ行ったか覚えていない。京都でなかったことは確かだ。

 旅行に行く前に、班を組むことになった。どういう経緯だったのかはあまりに昔のことなので記憶にないが、「仲のいい友達同士で」という分け方ではなく、教師に割り振られた班だった。多少の不安はあったが、そもそも仲のよかった友人は別のクラスだったので、そこはさして不満ではなかった。

 教室内で班行動を打ち合わせている間は、まだよかったのだ。計画だけは、まともにたてられた。現地に到着したときは、初めて見る観光地の賑わいに、さすがにワクワクした。

 二条城とか、三十三間堂とか、最初に有名なところを回っているうちは、同じルートを進んでいる同校の生徒も見えたし、時間にも余裕があった。しかし、バスを乗り換えて移動したり、お寺を探すのに手間取ったりしているうちに、予定の時間がズレてきた。

 予定がズレると、焦りが生まれる。中学生は未熟なので、尚更だ。

 そこでどうなったかというと、なぜか班内の男子が勝手に走りだした。最初は、移動時間を短縮するためだと、みなそれについていった。しかし段々と、走っている彼らの方角は、無軌道になっていった。どこへ行くのかもよくわからないまま、置いていかれないために仕方なく女子がその後を追う、という状態になっていった。

 ちょっと待て、行く先がわからなくなったなら、止まって現在地と地図を確認しろよと言いたかったが、なにしろ急ごしらえで組まされた班員であり、そこに友情も信頼もない。

 彼らは、最終的にはその追いかけっこを面白がっているんじゃないかというテンションで走り回り、追いかける方はパニックと疲労でまったく楽しくない。後半はかなり振り回されてグダグダになりながら、ほとんど迷子になっているのでは? という不安と戦いながら、宿までダッシュという羽目になった。碁盤状の道というやつは、本当に現在地がわかりにくいと痛感した。

 散々だ。もっとゆっくり見て回りたかったのに。これだから学校行事は苦痛でしかない。次に京都に来るときは、絶対に自分一人か、信頼できる連れとでないと来たくない。そう心に誓ったが、以後、わたしは京都を訪れることはなかった。(奈良なら行った)

 ただ班行動はその一日だけだったので、最終日に江戸村などをまわったときには、マイペースに楽しめた。土産物には、たしか八つ橋と、自分用に扇子を買った。迷った末に選んだのは、なぜか般若心経の書かれた扇子だった。

 おそらく、当時の私にとってそれが精一杯の、中二病的な嗜好だったのだろう。本当は木刀もちょっと気になっていたけれど、それはでかくて恥ずかしいなと買えなかったのだ。

 扇子は買っただけで満足してしまい、ろくに扇子として使用したことはなかったし、さすがにちょっと外で使うのはアレだなと思って、ほぼしまいっぱなしだった。何年か前に大掃除をして処分してしまったが、すこし勿体なかったかなとも思う。