後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

何もしない日々

 とうとう梅雨かぁ、と雨の音を聞きながら思った。結局、梅雨の前に髪を切りに行くことはなかった。まあ、髪を切りに行くタイミングなんて、梅雨でも夏でもいつでもいいんだけど。

 しかしここ数ヶ月、文化的な行動をしていない自分には、焦りを感じてきた。文化的な行動とは何か。本を読んだり、映画を見たり、美術展とかに行くような行動、金と時間を費やすインプットのことを、自分で勝手にそう思っているだけである。

 部屋にこもってPCでダラダラとネットに興じていても、新しい情報はいくらでも目に付くが、没入するのはあきらかに脳に悪い。若干、ネット依存気味の気質があるのも自覚している。不毛な情報に情緒をかき乱されて、無為に時間を費やすくらいなら、まだお絵かきをしたりゲームをしていた方が有意義な気がする。

 雨が降れば、わざわざ遠出をしようという意欲はなくなるだろう。夏になって暑くなれば、やっぱりわざわざ出かけるのは面倒なぁと思うに決まっている。これから先、意欲的になれるタイミングが見当たらない。

 買おうと思っていた本も、結局買いに行っていないどころか、ネットでもカートに入れっぱなしで踏ん切りがつかない。ポチってしまえば、またお金が減るんだなー、と考えて、まったく衝動的にもなれない。冷静といえば冷静だ。

 文化的な行動。それは、わたしがストレスの解消と、すり減った自分を何かで補うために始めたことであった。それさえやっていれば、わたしは日々のストレスを一時だけ逃れられる。日常以外の刺激を受けることが、救いになる。

 けどそれも落ち着いてくると、自分の中で「やらなければいけない」義務になっていく。自分のためにと自分で考えて始めたことなのに、次第に「そうしなければわたしはダメになってしまう」と思い込むようになっていく。

 何をやっても、そんな感じだ。自分で選んでおいて、「本当は何も楽しくないし、好きでもないのに、何やってるんだろう」と、ふっと心が離れる。虚しくなる。その繰り返しだ。

 いや、「本当は楽しいときもあるし、好きになりたいと思っている」のだ。なのにそれは、続かない。

 良い調子を持続させることは、難しい。義務でないものは、本来なら好きに放置してもよいはずなのだ。またやりたくなったら、やればいい。その判断を自由にするのが、難しい。