後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

ゲームのようにはこなせない

 今日は予報では暑くなると言っていたのに、蓋を開けたら涼しかった。どういうこった。窓を開けていると、肌寒いほどに涼しい風が入ってきた。

 気がついたら、六月も三分の一を終えていた。気がつくと、処理しようと思っていたレシートは溜まり、クローゼットの奥から引っ張りだそうと思っていたはずの本も手つかずのままだ。気がつくと、今日もろくに運動しないまま一日が終わる。

 しかし、気がついたらゼノ・イフリート撃滅戦のトレジャーが集まっていたので、自分が何に時間を費やしていたのかを客観視していないのが悪い。今回は、斧が2個もドロップしてくれたので助かった。HELL120をどうやって効率よく攻略するか、みたいなことを考えつつポチポチしていたら終わっていた。この集中力、他のことに回したい。

 実際、このイベントの周回作業はけっこう楽しいのだ。二年もグラブルをやっていたくせに、今まではあまりに弱いのでゼノ系のイベントはスルーしていたのだが、ようやく武器をまともに揃えられてきたので遊んでいる。その成果を実感するには、ちょうどいいイベントだ。

 易すぎず難しすぎず。見返りもちゃんとある。たまに、美味しいドロップもある。編成を色々と試して、「ああ、こうすれば効率的なのか」という気づきもあるから、新鮮でやりがいがある。ゲームが面白いのは、そういうサイクルを楽しめるときだ。

 試行と、気づきと、成果。このバランスが取れていれば、単純作業のようなゲームでも楽しめるんだな、と最近気づいた。

 なぜ日常のなかの面倒なあれこれを、ゲームのようにこなせないのかと思う。ゲームのように、わかりやすい達成感や報酬がないからだろう。悲しい。もうわたしは、子どもの頃のラジオ体操のように、参加の判子を押してもらうためだけに早起きできるような人間ではなくなってしまった。

 毎日風呂を掃除しても、たいしたスキルが取得できるわけでもないし、伸びた爪を切ったところでまた伸びる、埃は毎日積もっていく。現実は、現状維持のための雑事をこなさなくてはならないし、そこに分かりやすい報酬はない。

 そもそも、発想がまちがっているのだろうか。やはり人生は苦行、修行のようなものと諦めて生きていくしかないのだろうか。もしかしたら、わたしのような人間は、面倒なことを上手くこなそうなどとは考えず、いっそそのようにネガティブに捉えた方が楽なのかもしれない。