後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

再読する

 久しぶりに肌寒い一日だった。一応、羽織るものを用意しておいておかった。しかし、指先は冷える。昼食は脂っこいパンを二つも選んでしまったために、胃にもたれたので、夕食は米を抜いた。食べ過ぎはよくない。それでもちょっと物足りなくなり、ナッツでも摘まもうかと棚を見たが、塩味のついたピーナッツ入りのミックスナッツしかなかったから、やめておいた。

 最近は本を読んでいるので、ちょっとだけ虚しさが減っている。読もうと決断し、読みはじめるまでに数日かかり、読みながらも最初のうちは余計な不安が湧いてきて、このままでは読書に集中できないのではないと自信がなかったが、数日たってようやく頭が読書モードになってきた気がする。

 読書といっても、かなり昔に読んだ小説の、再読である。あらすじは覚えているが、詳細はほとんど忘れている。おかげで新鮮な気持ちになる部分もあるが、へたに思い入れのある作品だけに、正直再読は不安だった。

 過去の記憶や思い入れに対する美化が強くて、今読んでも面白くなかったり苦痛だったりしたら、悲しい。美しかった思い出まで、無惨に壊れてしまう気がする。好きだったはずの物語を、とっくに忘れている自分のお粗末な脳みそを実感してしまうのも、悲しい。

 それでもわたしの中に、そのストレスを乗り越えてでも再読したいという欲求が生まれていた。けっこう不純な欲求ではあったが、ネットやソシャゲに時間を費やしているよりも、自分で自分を許せそうな気はするし、過去の思い出にセンチメンタルになりつづけているのも気持ち悪いし、とっとと読んで「へー、今の自分が読むとこういう感じかー」という結果を出してしてしまいたかった。

 あー、重い。自分の過去に対する思い入れが重くて、我ながら気持ち悪い。これが歳をとるということなのか、個人的な精神状態なだけなのか。

 しかし読みはじめて、「あ、よかった。大丈夫。今読んでもふつうにコレ面白いぞ?」となってきたので、ホッとしている。

 何か本を読まなくてはどんどん脳みそが衰えそうな気がするが、自分の思い入れのある過去には向き合いたくないし、へたに神経に障るような本まで無理して読む気にはなれない――という時期が、たまにある。読むべき本を選ぶのも、なかなか難しい。そんなときは図書館へ行って、普段は絶対に手に取らないような、自分で金を払って買わないような分野の本を借りたりする。

 一度読んで、忘れてしまった本を再び読むというのは、なかなか気力が要るのだ。