後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

集団が苦手な記憶

 久しぶりに暑くなったので、今日は冷房をつけた。人類が常春の環境を手に入れられるのはいつだ。いやその前に滅ぶのか。どっちにしても先が長すぎる話だ。

 気がついたらワールドカップとかいうものが始まっていた。わたしはサッカーにはまったく無知なので、余所のお祭をぼうっと眺めているという感じだ。べつに意図して見ようとしなくても、なんとなく目に入ってくる。

 わたしは集団の盛り上がりに加わるということが、とてもとても苦手だ。その苦手意識がどれくらい過去に遡れるかと考えると、一番古い記憶は幼稚園児の頃だった。

 ごく初期のことだと思う。幼稚園に行くと、ロッカーに自分の帽子と鞄をしまわなければならないのだが、それがなかなかできなかった。動くのが怖いのである。なぜ怖いのかもわからない。わたしは壁に張り付くようにして、しばらく立ち尽くしていた。しかし、帽子と鞄はしまわなくてはならないので、おどおどしながら、なんとかそれをこなす。そしてまた壁際に立ち尽くす。目の前では、みんなが賑やかに遊んでいるのだが、わたしはその中に入っていけない。とにかく、わけがわからない緊張感と恐怖でいっぱいになって、大人に声をかけられるまで動くことができなかった。

 そんな感じの、記憶がある。あまりに古い記憶なので、正確かどうかはわからないけれど、わたしが極度の人見知りだったことは周りの大人たちもよく話題にしていたことなので、それほど間違ってもいないだろう。

 もちろん、それは幼い頃の一時的なもので、徐々に慣れて社交性や協調性というものも身につけてはいったのだが、やはり自分は気質として基本的に一人でいることが楽な人間なのではないかと考えるたびに、幼稚園のことを思い返す。

 もしくは、その後の様々な経験や要因によって、一人が好きな人格がより強化され、その根拠となる記憶として幼稚園時代のそれが自分の中で固定されたのかもしれないが。

 どちらにしろ、現実は変わらない。気負いなく集団に溶け込んで、空気に馴染めるような社交性までは、なかなか得られていない。

 なので、なんか楽しそうなお祭り騒ぎに盛り上がっている人たちを見ると、いいなぁ、楽しそうだなぁとは思いつつ、でも疲れるだろうし自分には向いていないんだろうなぁ、と再確認するのだった。