後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

本は忘れる

 夕食時にテレビの気象情報を見ていたら、今日は夏至だという話題がでてきた。

 夏至。急に言われても、いまいちイメージが湧かない二十四節気冬至は自分の誕生日にも近いし、ゆず湯とカボチャと関連付けて記憶している。だいたい、二十四もそんなに覚えてはいない。一応、一年で一番昼の長い日ということらしいが、それを体感することもない。

 ブリの塩焼きをつつきながら、まあ季節はだいたい梅雨で雨だしね、昼が長いとか短いとかあんまりね、と思った。

 暦のことも天文のことも詳しくないし。そういえば、数年前にその手の本を読んでいたのに、内容をすっかり忘れてしまった。どんな本かというと、ええっと、アメリカの学者が書いた、ヨーロッパの祭日についての本だった。

 覚えているのは、『赤鼻のトナカイ』が企業のキャンペーンソングだったとか、商業的なバレンタインデーの変遷も色々だとか、そんな雑学的な情報くらいだ。もちろん夏至祭のことも書いてあったとは思うけど、すっかり忘れてしまった。

 だいたい、グレゴリオ暦がどうこう、とか読んだだけで「うーん、よく知らん」となってしまう脳みそだったので、自分向きではない本だった。ちょうどその頃、図書館で、「自分が絶対に買わないような分野の本を敢えて読む」チャレンジをしていたことがあり、その一冊だった。

 サイコパス研究者の本は、めちゃくちゃ面白かった。昭和の政治史の本は、基礎知識が足りずに挫折した。女言葉についての本も面白かった。嗅覚についての化学本も、挫折した。経済学の本は、なんとか意地で読み切った。漢詩の本も、まあまあ面白かった。香料についての本も面白かったが、情報が多すぎた。

 一部の本はメモをとりながら読んだりもしていたけれど、散漫な読み方なので、ほぼ何も残らない。小説の、ぼやっとしたあらすじの方が、まだ記憶に残る。わたしは何のために本を読んでいたんだろうと虚しくなるが、そのとき、ただ読むためだけに読んでいたのだ決まってる。

 わたしにとっての本とは基本的に、自分の中に何かを残すわけではない、消費的な体験にすぎないのだろうかと思う。何を入れてもスカスカと零れてしまう、ザルのような頭であることを悲しく思うが、悲しんだところで改善はしないのだ。

 だいたいわたしの周りにいる人だって、本は一度読んだらもう読まない。忘れたら忘れたで気にしない。また新しい本を読むだけ。というタイプの人はいるわけで、その人はべつに読書に過大な期待をしていないので大人である。

 わたしもそのくらい割り切って楽しめればよいのだが、まあ性格なので治しようもない気はする。