後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

占い

 ふと、星占いの記事を見た。ネットをぐるぐるしていたら偶然目に入ったので、他に調べたいこともなかったし、自分の星座について見てみたのだ。

 そりゃ自分だって幼い頃は、占いとか好きだった。妖精だって魔法だって信じていた。しかしさすがに大人になって擦れてくると、星占いだの何だの見たって「はいはい、バーナム効果」という言葉が頭に浮かぶ。

 娯楽の一種としては、嫌いではない。今日の運勢とか、ラッキーアイテムとか、そのくらいなら害はない。しかし、個人の人格やライフスタイルにまで踏み込んでこられると、いささか居心地が悪い。何様だ、と思う。

 信じたい人が自己責任で信じるならばそれも自由だと思うけれど、占いを根拠にして他人からジャッジされたらきっついなコラ、とは思うわけで。それを遊び心がないとか野暮だとか言われたら、不愉快になる。

 そこまで否定しておいて、しかし、たまに見てしまうのである。自分の星座がどのように評されているのか一応は知っておかないと、その偏見にも反論しようがないからな、という気持ちと、まあそれでも何か気晴らしになりそうな情報があれば、得るものもあるかもしれないという期待と、相反する衝動で。

 人間の心理は脆いものだな、と思う。疑ってみても、バーナム効果というものを前提としていても、そこに当てはまるものを見出してしまうと、つい「あー、あるある~」と傾きそうになるのだ。

 大雑把なことを言ってしまうと、自分で自分のことがわからない、という状態は不安なのだ。自分自身の主観や感情を疑うほどに、何か他者からの、客観的な指針が欲しくなる。とくに心が弱っているとき、迷いがあるときは、そうなりがちだ。

 しかし、他者からの客観的な意見といっても、心が弱っているときに、忌憚のなさすぎるきつい評価は聞きたくないものだ。本当のことであっても、心が折れたり、追いつめられて病んでしまったら逆効果だ。

 そんなとき、ふと占いに頼りたくなるのかもしれない。これは所詮自己分析でしかないので、他人はどうだかわからないけれど。

 ちなみにわたしは山羊座なので、だいたい「地味だけど努力家」とか「目的を達成するための労力は厭わない」とか書かれていることが多いけど、べつに何も成し遂げていないし、集中力はなくて飽きっぽいし、あまり当たっているとは思えない。しかしそれはそれで「どーせ自分は努力家でも何でもねーよ」と逆に拗ねたくなってくるのが、占いの怖いところだ。呪いかよ。

 当たっても外れても呪いだし、自分が信じなくても、周囲の人が信じてその像を押しつけくれば逃げ場がない。わたしは未だに、世の占いというものとどうやって付き合っていけばよいのか、わからない。