後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

話題がループ

 例の事件についてちらりと母と雑談をしたら、なんか「ブログって怖い」みたいな反応をされたので、自分がブログをやっているとか言わない方がいいことだよなと、改めて思うなどした。

 母や身内がこのブログにたどり着くとは思えないし、身内はともかく、母に見られるくらいなら構わない程度の内容しかない。そして母は他人のブログになど興味はないし、身内に至っては、普段ネットを見ることすらない。おまけに、我が家はスマホを所持している人間が一人もいないのだ。

 この家の中で、ネットではこんな話題があったとか、SNSとはどういうものなのか、みたいな話題を持ち出すのはわたし一人で、飯の席の雑談にちょうどいいので話している程度だ。そのわたしだって、世間一般的にはけっこうな情報弱者の類である。

 それでもせめてわたしくらい、この世にはSNSというものがあり、そこでどういう話題が日々出回っているかに興味を持って家族と共有しておかなければ、色々と世の流れから置いていかれそうでヤバいという危機感もある。仕入れている情報も、せいぜい個人的な観測範囲、ごく狭い視野のなかのことでしかないとしても。

 知ったところで、深く分析して考える頭などないので、せいぜい「いや、自分はこう思ったんだけどさー」くらいの薄い話にしかならない。そしてそれは、我が家の夕食を円滑にするのに必要なのだった。

 そして、それらの話題は、時折妙な形でループする。わたしが「ネットでこういう話題がバズってるのを見た」と話したことが、後日テレビで取り上げることがあると、なぜか身内が、それをテレビで初めて知ったかのように、わたしに話すのである。

 似たようなことは、昔からあった。それこそネットのない時代から。「それ、最初にあんたに話したの、わたしなんだけどな」ということが。

 そう、わたしの話を聞いて雑談していた身内は、話題の内容だけを記憶して、誰が(わたしが)その話を伝えたのかということを忘れている。あるいは、同じ話題をテレビで見たことによって、伝えた相手に対する記憶が上書きされているらしいのだ。

 これに対してわたしは、身内の機嫌の色をうかがいながら、「いやいや、それこの前わたしが話したやつ」とツッコむか、「へー、そうなんだー」と話を合わせておくかを切り替える。

 ちなみに、今日はツッコんだ。その菓子のレシピは、わたしがこの前話したやつな? と。