後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

久しぶりにジェリコ

 とても恥ずかしい話なのだが、今日は来客があるとわかっている日だったのに、起きられなかった。というか、時計の目覚ましをセットし忘れたのである。いつもは、それでちゃんと起きているのだ。本当なのだ。

 耳栓ごしにもうっすらと聞こえるチャイムの音で、目が覚めた。覚醒した途端、その予定を思い出して、わたしは慌てて起きた。とりあえず、玄関に向かって「すいません、ちょっと待ってください」と声をかける。着替える暇も髪を整える暇もなかったので、わたしは部屋に置きっぱなしにしていた冬用の上着をあわてて羽織り、申し訳程度に解かしたボサボサの髪で玄関に向かう羽目になった。

 完全に自業自得なので、恥をかくのは仕方ない。

 相手の人は仕事なので、その点とくに何の反応もなかった。ありがたい、プロ意識。こちらもそれにあやかり、普段のように応対する。用事自体は十分ほどで終わった。

 そんな失敗をしてしまったというのに、今日は体調も精神状態も、そんなに悪くなかった。すると、久々にカフェへ行こうかなという気持ちになった。決心が付かず、二時間ほど作業をしながら悩んだが、結局出かけてみることにした。

 いつものように、メモ帳と本をバッグに入れる。財布も忘れないように気をつける。ユニクロのへろへろのシャツは着心地はよかったが、外出用としては心細いので、何年も前に買ったシンプルなシャツに着替える。これはそれなりに質のよいものなので、露骨に素材と縫製に差があるのだった。

 どこに行こうかとちょっと考え、コメダにした。その店の広い駐車場はいつも車で埋まっているが、実は店内にはそれほど入っていないことを知っていた。わたしは、ジェリコの季節限定である、ミルクコーヒー味を注文した。元祖のジェリコとどう違うだろうか、と口に含んで「うん、ミルクとコーヒーゼリーの味がする」と思った。そのまんまだった。次からは、元祖の方を頼むと思う。

 行く前は色々と考えすぎて悩むのだが、やはりカフェという空間は、本を読むにも、ものを考えるのにも適していた。冷房の風がすこし強くて寒くなってきたが、次は何か羽織るものを持っていこう。

 そこでメモに書き留めた考えというのは、思考の泡のようなもので、ほぼ何も形になることなく消えていくのだが、それでも脳から思考を追い出すことによって気分転換をはかることができるというメリットがある。ささやかすぎるメリットだが、自分の精神がこうした具体的な行動で落ち着くことができるのだ、という実感を積み重ねておくのは、悪くないことだ。

 このように、たまにカフェへ逃避するという効果はわたしにとって色々と有益なのだが、お金もかかるのでそう頻繁には行えないのが悲しい。