後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

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 気がついたら今日も、「有意義なことが何もできなかった。やろうとしたことがやれなかった。やってみたことも上手くいかなかった。なんで生きているのかわからない」という虚無感に襲われる。

 一日の終わり、寝る前はいつも人生の反省会だ。

 実際には、そんな深刻な話ではないのだ。ちょっとしたことが上手くいかなかった。それだけで、ひどく落ち込む。同じことを何回も繰り返して上達がなく、フォローもないから、何もかもが嫌になってくるのだ。

 あと何回、わたしは同じことを繰り返すのだろう。それを考えるとゾッとして、やる気を失う。少し休めば、わたしは忘れっぽいので、再チャレンジならいっぱいできるのだ。しかし学習できないので、ずーっと同じところでつまずいて進歩がないと感じている。

 見えている壁を突破できない。ただぶち当たり砕けるだけ。そんな感じで。

 まあそんな気分になってしまったら、もう何をやっても苦しいだけで上手くはいかない。だから気分転換をして、やり過ごす必要があるのだ。しかし気分が落ち込んでいるときは、発想の転換という機能そのものが死んでいる。つまり、気分転換に「何か楽しいことを」と考えたところで、出てこない。逆さに振ってもスッカスカという状態である。

 本当は、そういう気分をやり過ごすためにも、運動というものを利用しようとしていたのに、結局「めんどうくさい」という気分には勝てなかったのだ。ここらへんの思考から自分も、健康な精神は肉体が健康になれば宿ってくれるんじゃないかな、という甘い精神論に毒されていたと見える。

 心も体も同じもので、切り離せない。連動している。だから環境を変えてしまう方が色々と手っ取り早いのだが、環境を変えるにはコストがかかる。世知辛い。コストがかかるということは、結局それもまたストレスへ直結するということだ。

 というわけで、身動きが取れない。身動きが取れないと、また脳みそが余計なことを考えだしてしんどい。この脳みそを黙らすにはどうすればいいのか。ゲームに逃避する気力もなく、本や漫画すら読む気になれない。だらだらとネットを徘徊してもイライラするだけ。

 そんなときは、食い物のことを調べる。身近にあって、明日にでもふらっと行けるような店のメニューを眺めて、その中から何が食べたいか考える。実際には、考えたものを注文することは少ないのだが、それでも「まあいつかの機会に」と思えば、いつもの同じメニューを眺めていても飽きはこない。とりあえず、思考を平和に逸らせればそれでいいのだ。