後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

暑さに思い出す憂鬱

 気がついたら七月も終盤だった。最近の猛暑で感覚が麻痺していたけれど、まだ七月だった。夏はこれからだ。

 なんとなくツイッターを眺めていると、学校のエアコン問題が色々と目に入ってくる。ちなみにわたしは、小中高と、冷房のない教室で過ごした。昔はそれでもなんとか過ごせたものだったが、当時の感覚からしたら、日中三十六度とかなかなかあり得ない数字ではあった。

 だから大学へ行くと、教室にふつうにエアコンがあるのには感動したし、あるときなどは設定温度が低すぎて、寒さに震えながら講義を受けていたこともあった。あれはみんな平気だったんだろうか、それともわたしと同じように我慢していただけだったのだろうか。今となってはわからない。

 そう、場所によっては冷房が効きすぎて、体に負担がかかることもある。昔は、夏場のスーパーマーケットなどに入ると、とくに生鮮食品売り場近くは、寒くて長時間いられないということもあった。

 わたしの部屋のエアコンは、古いせいもあるのか、あまり効きがよくない。温度計を見てみても、日中は二十七度から二十九度くらいである。それでも、部屋の外に出るとむわっとした暑さに「無理」となるので、エアコンは大事である。エアコンのない部屋の、窓際の温度計なんて、三十九度になっていた。

 夜中になると、さすがに二十五度程度には下がる。それくらい下がれば、充分に涼しく感じられる。深夜になって、ようやく生き返った心地になる。

 そして未だに、ふと考えてしまうのだ。ある時期までわたしがやっていた仕事、真夏の炎天下に長袖の作業服を着て、トラックの荷台の鉄板から反射する熱と、収拾物の悪臭に耐えながら作業していたアレを、今でも誰かはやっているのだということを。

 わたしがその作業を始めたとき、負担はそこまで酷くなかった。だが、年々現場の負担は増えていくことになったのだ。負担を負わなければ、仕事そのものがもらえないから。しわ寄せはすべて、現場の過酷さに反映された。

 その根本的な構造が変わっていない限り、やはりどこかで誰かがその役割を担うのだろう。

 それを思うと憂鬱になるし、今の自分はたまたまそういう現場から離れただけで、またそこに戻ることもあるかもしれないし、いや、それよりもっと過酷になっていくのかもしれないとも考えたりしている。