後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

設定温度は大事

 ここ数日、本当に「暑い」以外のネタがない。「暑い」という感覚と感情が生活を支配している。深夜二時を過ぎて、ようやく室温が二十七度になるのを確認する。氷水を飲んでいるけれど、水道水を凍らせた氷は、味がまずい。冷蔵庫にはアクエリアスがあったけど、ガブガブ飲んでいるとすぐになくなってしまう。

 今日も熱気の充満した台所で料理する気力はなく、なんとか冷凍庫から、冷凍のピザロール的なものを発見して、それを昼食とした。さすがにそれだけでは足りない気もしたので、手軽に腹を満たせそうなバームクーヘンも追加する。一応、野菜成分も摂取しなくてはとトマトジュースも一杯付けて。

 家族が帰ってきて、ようやくリビングの冷房を付ける。扇風機も同時に回しているというのに、異様に蒸し暑い。おかしい、こっちのエアコンはわたしの部屋エアコンなどよりずっと新しく、性能もいいはずなのに……と思ったら単純なことで、そもそもの設定温度が高めだったのだ。

 母曰く「面倒くさくてそのままだった」わたしはガックリとした。この連日の猛暑、暑いと思ったら、ふつう設定温度を下げないのか? と。わざわざ扇風機まで持ってきて、温風を掻き回してこの数日「暑い、暑い」とやっていたのか、と。

 わたしは飯を食うだけであまりリビングに長居をしないので、エアコンの温度管理にはまったく手を付けていなかったのだ。

 設定温度を二十八度にしたとても、べつに室温は二十八度にはならない。まして、長時間蒸されて熱気がこもっていた状態だ。体感的には三十度を超えていた。おまけにそこから続く台所は仕切りがあって、空気の循環が悪く、料理をするときは火を使うものだから、よけいに部屋の温度は高くなるのだ。

 我が家は、なんかいつもこうだ。要領が悪い。効率的でない。「面倒くさい」とか「うっかり忘れていた」とか「いつもと違うことはやりたくない」とか「なんとなくそう思い込んでいた」みたいな感じで、不具合が出る。悲しい。

 だが日常は、だいたいそんなことの繰り返しだ。器用になんてこなせない。だいたいいつも無駄なことをして、神経をすり減らして生きている。そこからちょっとだけ学んで経験値を得て、そして時間が経つと忘れてしまって、また同じ失敗をするのだ。