後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

とりあえず逃げとけ

 台風が来ているせいか何なのか、今までの息苦しいほどの暑さが緩和されて、うっかり油断しそうになったところへ、天候とはまったく関係のない憂鬱な予定が入り込んできた。

 それを「憂鬱だ」と感じてしまうのも、いかにも自分の人間の出来てなさ、駄目さ加減をあらわしているようで、更に落ち込む。「仕方ないけど正直、嫌だなー」と物事に対して思ってしまうとき、同時に発生する罪悪感が、ただでさえ低い自己肯定感をスパイラル気味に下降させる。ぐるぐるぐるぐる……精神の自己完結不毛ループ。

 「嫌だ、憂鬱だ」と感じる自分を、とても卑小で怯懦な人間に感じるし、それはたぶん事実なのだろうと確信してしまう。人間社会というものは、後ろ向きな人間、不安感の強い人間、自信がなくて自己肯定感の低い人間には生きづらい。

 落ち着いて考えれば、その用件に、わたし自身が負うところは殆どないはずなのだ。しかし、安心していられる環境が揺るがされるかもしれないという事態に、わたしの精神はとても弱い。その可能性を想像しただけで動揺してしまい、自律神経に支障が出る。

 大丈夫。何もない。べつにわたしがすべきことなんてない。ただその時間をやり過ごせばよいだけだ。

 しかし、自分にそう言い聞かせつづけるということは、一人でその不安に向き合い続けるということと同じなので、だいたい逆効果だったりする。不安は更に強まり、精神は不安定になる。自分の脳からは、逃れようがない。

 そういうときは、逃避するしかない。忘れることに全力を傾けるのだ。まあ、あまりにストレスがひどいとそれも不可能なのだが、明日の予定程度のことならなんとか誤魔化せる。

 昔は、その「不安を消すために逃避する」ということが、ひどく悪いことのように思い込んでいた。だから逃げると、いつまで経ってもそのことで自分自身を否定し責めて、そのためにまた精神が不安定になっていたりした。しかも、不安定になっているという自覚すらなかったりした。

 今はもう、自分に苦手なことは、あまり向き合うものではないと思っている。無理は良くない。疲弊して結果、自分を潰すだけだ。

 そんなわけで、明日もなんとか適当に、向き合いすぎずに目を背けてやり過ごしたいものだと思う。