後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

墓参

 気がつくと空に鳴る雷の音が凄まじく、寝足りない状態のまま起き出したのである。眠りに就いたのは、朝の九時前であったからして。
 深夜から、ずうっと私的な文章を書いていた。調子が出てきた気がしたので、続けたかったのだ。過集中、というやつだろうか。
 昼食をとり、夕方になったところで母に、「墓参りに行くよ」と告げられた。盆であることを、すっかり忘れていた。毎年忘れる。前日に告げられていたけれど、忘れている。
 行こうか行くまいか迷ったが、結局行くことにした。墓は家からそう遠くはないし、とくに不快なことも不利益なことも思い当たらなかったからだ。
 雨の上がった後の空気は、湿気が充満してきついと思っていたが、それは空気のこもりがちな室内の話で、外気が循環している屋外は、そうでもなかった。
 いつものように調子の悪い、右目のコンタクトレンズを洗い直し、部屋着よりはほんの少しだけはましだろうと思える服に着替える。念のために日焼け止めを塗り、髪を下ろす。髪はまだ中途半端な長さなので、縛るとかえって収まりが悪くなる。
 車の助手席に乗り、埒もない話をしながら、ときおりフロントウィンドウに当たる水滴の存在を気にする。傘は持ってきていない。
 墓に着く。例年つんざくような蝉の鳴き声が聞こえるのだが、今年は大人しい。雨後だからだろうかと考えたが、墓前で合流した親戚によると、今日はこちらでは雨はそれほど降っていないのだという。
 どおりで、墓を清掃したが、雨で洗い流された様子もなく、土埃がこびりついたままだった。
 母は仏花を活ける花立て(花筒、ともいうらしい。名称が分からなかったのでググって調べた)を洗い、掃除用の歯ブラシを持ってくればよかったと言いながら、ゴム手袋をした指で擦っていた。しかし、わたしが桶に水を足しに水汲み場へ行ったところ、そこに備えてある棚には清掃用のブラシが用意されており、先客が花立てを洗っている最中だった。花はもう活けてしまったので、その発見にはあまり意味がなかった。
 そうしているうちに、ぽつぽつと雨が降ってきた。親戚は傘を用意してきたが、こちらにはない。長居するほどの用もないし、線香を供えて、水鉢に水をかけて、手を合わせて、墓参りを終える。雨は強くなってきた。
 帰宅し、しかし毎度ながらこういう行事は、気持ちの置き所がよくわからないと省みるしかない。とにかく実感がない。何に対して、何の実感がないのかも自分ではよくわからない。
 来週には、少し離れたところに住んでいる親類が、墓参りのために家に寄るという。正直、なぜみんなそんなに律儀なのだ、と居たたまれない気持ちもする。