後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

気がつけば、九月

 気がついたら、『smartnews』というところから、『こむら返りは痛い』の記事に対して集中してアクセスがあり気になっていたのだが、スマホを持っていないのでスマホアプリのことはわからない。気にはなったが、何の役目も負っていないブログのことなので、スルーすることにした。


 あのアホみたいな暑さも多少は弱まり、快適とは言えないまでも、息苦しいほどの熱と湿気に苛まれる日々は越していた。そう、九月になったのだ。
 とはいえ、まだまだ暑い。代わり映えのない日々を過ごしている。――とか思っている間に、なんかあちこちで災害が続いて、ニュースなどを見ていると、なかなかしんどい。
 運動は相変わらず再開できていない。積んである本も消化していないし、気になっていた映画も結局面倒くさくなって観に行ってない。片づけも進んでいない。なにか美味しいものを食べに行こうという気力もないし、カフェにコーヒーを飲みにも行かない。文具の店や本屋にも行っていない。百円ショップにも。
 なんで生きているんだろう、という感じだ。
 いや、まあそんな卑下してばかりでもしょうがない。絵は描いている。個人的な文章も多少は。絵は、ソフトの設定を変えたためなのか、慣れてきたからなのか、かなり調子は良くなった。しかし、また下がるかもしれない。一進一退だ。
 相変わらず、毎週ジャンプも買って読んでる。数週間分、溜めて積んでしまうこともあるけれど。部屋の隅に積み上げたジャンプタワーがある程度の高さになったら、古いものを処分することに決めているので、そこの自分ルールは守られている。辛うじて。
 グラブルもマイペースに進めている。ようやくバハムート武器と天司武器のスキル上げに終わりが見えてきた。何ヶ月かかったのか。
 しかし、目新しいことは、何もない。こうして書き連ねて客観視しても、わかりきっていたことだが、何もないな。そうしているうちに、だいたい物事というものは悪化していく一方なのだが。
 うん、また悲観的になってきた。しかしそれがわたしという人間の、長い時間をかけて培ってきてしまった習性なので、今更どうしようもなかった。
 そして気がついたら、Twitterを始めてから、とうとう八年になっていた。八年。八年間も誰とも交流もせず、ほぼ毎日ひとりで呟いていたと考えると、我ながら、なかなかに薄ら寒い。
 しかし、交流をしない運用をするということは最初からの方針だったので、それを貫いてマイペースにやっていただけとも言える。やはりどう考えても、交流なんて始めてしまったら、対人ストレスでおかしくなっていただろうし。

 そんな感じだ。

 久しぶりに書いてみたけど、やはりまとまらない。とりとめがない。わたしの散漫な脳みそそのままの文章しか書けないのかな、と思う。そうなのかもしれない。よくわからない。でもまあ、またたまに何か書こうとは思う。その気になったら。