後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

散歩をする

 そんなに深刻ではないと思いたいけれど、腰の調子が悪いので、精神の調子も悪い。寝ていても意識が覚醒するたびに腰のことが気になって、起床するときの自律神経がよろしくない感じだ。

 ここ一年以上の努力によって、寝付きは多少は改善したのだが、起きるときに不安やストレスが一気に体に充満するので、嫌な感じだ。枕の高さも微調整が合わず、なんだか息が上手くできない感じもするし。

 ただ生きるだけのことがしんどい。まあ、べつに一日中ずっとしんどいわけでもないけれど。

 調子が悪いけれど、悪いからこそ気分転換に散歩をしたりもする。家の周辺を、微妙にルートを変えて一時間ほど歩くだけだが。屋外で、べつに人と会話するわけでも近寄るわけでもないので、マスクなしでぷらぷらと歩く。体を動かして、日光を浴びないとな、という義務感もある。

 義務感もあるけれど、散歩をすると少しだけ自己肯定感が上がる気がする。なんか心身にとって、マシな選択と行動をできた気がするのだ。金もかからないし。

 散歩をしていると、同じように散歩をしていたり、ウォーキングとかジョギングとかをしている人を見かけるのもいい。みんな、自分の健康のためにがんばってるんだな、と勝手に共感が働いて、孤独感がちょっとぴり薄れる。

 調子は悪いけど、調子をなんとかマシにしようという意識と行動が働くだけ、まだ最悪ではないと思える。散歩をしても、劇的に調子がよくなるわけではないけれど、今までできていなかったことを続けられているという実感が必要なのかもしれない。行動変容というやつだ。

 「行動変容」という言葉は、数年前に認知行動療法の話として知ったのだが、たしか、カウンセラーと相談しながら少しずつ自分の意識を変えて、行動を変化させていくことだった気がする。つまり、当人に必然的な意識が生じないかぎり、「行動変容」なんてそう簡単なものではないのだ。

 コロナ禍のなかで、この「行動変容」という言葉を頻繁に見るようになったわけだけど、まあ無茶言うなとしか思えなかった。変わろうと思って変えられるなら、精神科もメンタルクリニックも必要ない。ましてや、精神科やメンタルクリニックに行ってもどうにもならないようなことも多いのに。