後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

欺瞞に生きる

 腰の調子は少しはマシになってきたかなという感じはするけれど、油断は禁物なのである。普段よりも多めにストレッチしたり、散歩に行ったり、座ってばかりいないで体を動かしていかなくちゃな……と、意識していたら、今度は腿が痛くなった。現実ってそんなものだ。

 慣れていない体で運動を増やすと、今まで痛まなかったところが、あちこち痛くなる。ひとつの不調を緩和するための対策をすると、今度はそれが原因で別の不調が顕在化する。そんなんばっかだ。

 何も解決しない。現実はフィクションのようにスカッとはいかないので、延々と数珠つなぎのように訪れる不調を、なんとかその場その場で対処してやり過ごしていくしかないのだ。解決はしない。不調も問題も、本質的にはくすぶり続けて、消えることはない。

 そんなことに、最近ようやく気づけた気がする。いや、気づいてはいたけれど、私はすぐに絶望して「死ぬしかない」という気分になっていた。今でも死にたい気持ちは消えないし、定期的に浮上するが、そういうのを含めて私という人間の、生命体の体質なのだと思えるようになってきた。

 つまらない生命体だ。でもそんなものだろう。何もいいことがない。でもそれが普通なのだ。いや、あまり普通ではない事情もそこそこあるんだけど。まあでも今の時代は、それも普通のことなのかもしれない。

 欺瞞だと思っていた、「考えることをやめる」が必要なのだと分かってきた。弱くて愚かな人間には、現実逃避が必要だ。現実に向かい合って生きられるだけの能力がないから。人生を、現実を騙して生きるしかないのだ。自分で自分を騙すことでしか生きられない。それを「希望」と人は呼ぶのだ。

 欺瞞によって認知を歪ませ、なんとか生きていくしかない。そんな人生しか生きられないのは、自分で自分の人生を選択し切り開く能力がないからだ。でもしょうがないよな。そうしなきゃ生きていけないんだから。