後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

散歩する

 本日(一月八日)から緊急事態宣言中だけれど、公園に散歩に行ったのだった。緊急事態だからか、単に寒かったからなのか、いつもより人は少ないので、余裕でソーシャルディスタンスだった。

 散歩は、去年から新しく身につけた習慣だった。きっかけは何だったか。コロナ禍もあってあまり外出しなくなっていたし、一昨年から続いていた不安障害的な状態をなんとかしたくて、とにかく心身の健康維持が今まで以上に必須だと痛感したからだ。

 少しでも運動不足を解消して、日光を浴びてセロトニンを分泌し不安を減らし、荒らし胃景色を視界に入れることで脳を活性化するのだ……みたいな、付け焼き刃な理屈を自分に言い聞かせて説得した。

 笑ってしまうことに、最初は三十分ほど歩いただけで筋肉痛になった。部屋の中でできる踏み台昇降運動とは、まったく別の筋肉使ってるんだな、と実感した。私の体はどこもかしこも鈍っていた。

 習慣化に時間がかかることは分かっていたし、動機付けも充分にあったので、私は散歩を続けることができた。散歩したからといって劇的な変化や成果はないのだが、多分、風呂と同じだ。「入る前は億劫だが、入ってしまった後で後悔することはない」とかいうやつ。「やる気スイッチが入るのは、初めてしばらく経ってから」ともいうし。とにかく、最初のハードルを越えることが大切なのだ、何事も。

 いい歳して、そんなことを自分に言い聞かせる。

 初めのうちは、まだ鬱々とした気分は抜けなかった。歩いていても、色々な不安が脳を占めて、上手く気分転換にならなかったりもした。今でもそれはある。しかし、やらないよりはマシの精神で体を動かすしかない。

 実際、続けてみると散歩は確かに精神に良いと思えた。身体機能の変化などは自分では分かりにくいが、気分が少しでもマシになるという成果があるのなら、この行為はけして無駄ではないと思えた。

 コースはその日の気分で適当に変えるが、だいたい三から四パターンくらいに落ちついてきた。飽きたら、また変えるかもしれないが、だいたい歩いていて気持ちの良い場所というのは決まってくるな、と思った。あまり人がいなくて、車も多くなくて、視界が開けている所だ。

 住宅街よりは、公園とか川辺とかの方がいい。自分と同じように、健康目的で歩いたり走ったりしている人が他にもいると、ちょっと安心する。犬とか猫とか鳥を見かけるのもいい。

 そういえば今日は、いつも同じ場所で見かける猫が、丸まって眠っていた。寒かったからだろうか。