後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

縄跳びを買った

 昨日は寒いのと体調がイマイチで運動できなかったが、今日は暖かかったし、一時間くらい散歩をした。ついでに、前々から気になっていた縄跳びを買ったのだった。

 そんなに高いものでもないし、試しに買ってみようかという気分で買ったので、実際にこれを使って運動する習慣化ができるかどうかは、まだわからない。まあ室内運動から始めて、数年前までは「絶対に無理!」とか思っていた散歩もできるようになったし、その気になったときにでもやればいいか、と考える。

 私が運動を再開したのは、肉体的な健康のためというより、精神の健康のためなので。まあ、精神の健康も肉体の健康に引きずられるので、心身の健康と一緒くたにしていいんだろうけど。

 腰の調子はだいぶマシになったけど、やっぱり寝て起きると、同じ部位に痛みの元のようなものがずっと蟠っているのを感じるので、ちょっと不穏だ。椅子に座っているときも、意識して背を正してみたり、足を組んで貧乏揺すりするのをやめたり、たまにストレッチなんてしてみるけれど、良い効果になっているのかどうかは、わからない。

 健康というのは、結果として何もないことが最良なので、「悪化したものが良くなった」みたいなドラマティックなものというより、現状維持の努力なのだと、歳を取ってから気づいた。遅いね。遅すぎる。

 もともと運動とか苦手で、というか、自分に身体性というものがあるのが嫌でたまらない、脳内世界で完結したい文系のガキだったので、とにかく若い頃は身体的なセルフケアというものを疎かにしてきた。まあ昔のことなので、自分の周囲にもそこら辺の重要性を理解している大人もいなかったし、とにかく教育が足りてなかった。

 「教育が、足りてなかったんだよなぁ……」と気づいたのも、中年になってからだ。気づける機会すらなかったからね。哀しいね。

 今はネットがあるから、便利だね。情報に振り回されて、逆に不安になることもあるけれど。でもネットがなければ、自分がそんなことも知らなかったのか、ということを知ることすらできなかった。そのバランスってやつが難しい。

 それでも実際、たいしたことはできない。劇的な変化なんてない。「やらないよりはマシ」を、いかに持続させていくかというだけ。その持続が、継続が、とてもとても大切なことだったんだなぁ。どうして自分はそんなことも学習できなかったんだろう……と、考えるほど、何につけてもネガティヴになってくるのだった。