後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

自転車で道に迷った

 最近、少しでも体を動かそうと、散歩という新習慣を身につけることには成功した。しかし徒歩では、家の周辺から移動できる距離には限りがあるため、だいたい同じルートを選択することになる。それに不満はなかった。通りを少し変えるなどの工夫はできるし、気に入ったルートは何度歩いていても、べつに飽きない。

 しかし、この前クッションを買いにホームセンターまで自転車で行ったとき、気づいてしまったのだ。それほどの距離でもないのに、ペダルを漕いでいるとヘトヘトになることに。歩く量は増やしていたが、自転車に乗る機会が減っていたので、体の別の部位が悲鳴を上げている。

 ならば次は、サイクリングだ。自転車での移動も運動として意識しよう。気分転換にもなるだろうし。そう考えた私は、さっそく市内をちょっと遠出してみることにしたのだ。

 目指すは、市内に新しく出来たカフェだ。そこまで自転車で行って、ドリンク一杯テイクアウトして帰る。緊急事態宣言中ではあるが、テイクアウトでさっと済ませるくらいならええやろ、という判断だった。

 実は、市内とはいえ、目当ての方面に行くのは約二十年ぶりだった。高校生の時、毎日三年間通学していた道なのだが、ここ二十年でかなり開発が進み、景色は一変していた。目印となるような施設は残っていたが、その周辺の建物も道幅も、記憶とはまったく異なるものになっていた。ちょっとした浦島太郎気分だ。

 え、何これスゲー。こっち、こんなことになってたの? そりゃそうだ。新しく駅が出来たんだもんな。私が通っていたときなんて、本当に何もなかったのに。スーパーもなければマクドナルドもコンビニも、カフェも商業施設も何もなかった。だだっ広い空き地や、畑や、用水路。そんな平坦な景色しか覚えていない。

 それでも行きはスムーズに目当てのカフェに着いて、目当てのドリンクを注文し、速やかに店を出る。しかし、店内の客はマスクを外したままふつーにお喋りしていたので、私はちょっと後悔した。こんなんじゃ、テイクアウトも安全とは限らないな、と。

 それはともかく、帰路、自転車を漕ぎ、信号待ちで止まるときにドリンクを吸いつつ、私の脳裏には理不尽な僻みがわいてきた。あー、私の母校の生徒ら、今は帰りにカフェに寄れるんだな。ちょっと行けば映画館もあるし、色々な商業施設もあるし。自分がこっちに通っていた頃は、狭い畑のあぜ道をバランス取りながらえっちらおっちら自転車漕いでたのに……。

 開発が進んだ今となっても、私の生活にその恩恵はない。市内といっても、生活圏がそこにないから。私の住んでいるところは、栄えている中央に行くには交通の便も悪く、公共交通機関を利用するなら、市外に出た方が早いのだ。

 そんな不満をかすかに溜めながら、私は家路についた……はずだった。

 道に迷った。気づいたときには、遅かった。見覚えのある施設を目印にしつつ、初めて見る景色の中を進む。そうしているうちに、なんかどう考えても見覚えのない住宅街に入ってしまった。久しぶりに長距離を自転車で走ったので、体は疲労を感じ始めていた。ヤバい、と血の気が引いてきた。ここはどこなんだ。スマホでもあれば地図を確認できたのだろうが、私はスマホを持っていない。それどころか、ガラケーも家に置いてきた。必要ないと思ってたから。

 ここから来た道を戻る? しかし、かなり走ってきたし、どこから間違えていたかも分からない。同じ道を逆方向に正しく思い出せるかも分からない。おいおい、どうすんだよ。得体の知れない焦りが浮かぶ。最終手段としては、どこかの店にでも入って道を聞くとか、電話を貸してもらうとか……そんなことまで考えた。しかしそこは住宅街で、ここまで通ってきた道も、流通倉庫や開発中の空き地がけっこう続いていたはずで、そんな気軽に入れる店舗も見当たらない。

 心が折れかけたが、意地になってやる気を出した。仕方ない。戻ろう。戻って大通りに出るのだ。住宅街をグルグル巡ってしまうと、本格的に方向感覚がずれる。この判断は正しかった。ひとまず大通りに戻ると、私はすぐに懐かしい看板をみつけた。

 昔通っていた、自動車教習所だ。

 あまりの安堵に、私は笑ってしまった。人間、疲労していると感情の箍が緩むらしい。調子に乗って、そのまま教習所をぐるっと回って……どこへ出たらいいのか分からなくなった。そう、教習所の周囲も、景色がすっかり様変わりしていて、どこが昔通っていた道なのか分からなかったのだ。

 疲れた。しかしここで諦めては家へ帰れない。

 こうなったら、あの遠くに見える高速道路。アレだ。教習所の位置がここなら、あの高速道路をあの方向に沿ってさえ進めば、確実に自分の知っている道には出られる。ここからだとちょっと遠いけど、仕方ない。

 そう気力を整えて、なんとか漕ぎ出す。カフェで買ったドリンクは、道に迷っている間に飲み干した。私は汗だくになり、手袋も防寒具も外していた。そう考えてみると、甘くて冷たい水分があってよかったな。ちょっと尿意を感じたときは焦ったけど。

 そうして高速道路目指して、まっすぐ進んでいると……アレ、ここもしかして、来たときに通った道? と気づいた。よし、あとはこのまままっすぐ進むだけだ。しかし疲れた。予定じゃさっとドリンクだけ買って、すぐに帰るはずだったのに。どこで間違えたのだろう……考えながら、ひたすら漕ぐ。見慣れない景色の中に、ぽつぽつと見慣れた野菜の直販所や工場が見えてくる。夕方になりかけていたので、点灯したけれど、しばらく走るとペダルの重さがキツくて耐えられなかった。すいません。まだ暗くなってないから許してください……と脳内で謝りながらひたすら漕いだ。

 家に帰ってからは、反省会である。ネットの地図で、私の誤りは何だったのかを確認する。

 原因は、十字路だった。十字路といっても、道の一つがカーブしており、V字のようになっている。行きが湾曲した道に沿って曲がったように感じていたから、帰りも曲がるものだとばかり思い込んで、まったく逆の方向へ走っていたのだ。

 かろうじて見覚えのある施設があったから、それに沿って方向転換し、大きく遠回りをしながらも、大まかな方向は合っていたのが幸いだった。そして私が目印とした自動車教習所の前の通りが、そもそも私が昔通っていた道そのものだったのだ。

 二十年の歳月を舐めていた。三年間通った道だぞ、という慢心があった。まさかあれほどまでに変わり果てていたとは……同じ市内なのに! くそぅ、こっちは昔からあった店が消えたり寂れるばかりで、何十年とほぼ変わらない景色の中で生活してんだぞ。

 疲労と共に、そんなモヤモヤが残った一念発起のサイクリングだった。