後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

今年が始まってしまったようだ

 毎年毎年、年末年始は魂の地獄だぜ!

 そんなイベントがようやく一段落した気がしたので、ブログを書きます。何が起こったのかというと、元旦から親類が泊まりに来て、今日無事に帰ったというだけのことです。出来事としてはそれだけなのですが、その背景にある我が家の事情と、それに触発されるわたしの精神状態が地獄過ぎて逃げ場もなかったというだけで、まあ毎年のことです。時間が経てばやり過ごせる程度のことだと分かっていても、その間の情緒の乱れっぷりは理性でどうにかできることではなかった。

 というわけで、心の安寧を図るために、今年もグラブルのキャンペーンがあって助かったのです。毎日無料ガチャをサービスされて、リミテッドのシヴァや闇ユーステスが出てくれたことに、「あ、なんか運いいかも」と勘違いさせてもらえて感謝です。おかげで気が紛れる。周回作業も苦じゃない。

 一昨年はわざわざ某百貨店の初売りに早朝から行ったりしていたというのに、もはやそんな気力はない。だいたい、その百貨店は閉店してしまったのだ世知辛いから。去年はコメダに行ったけど、そのときもろくなことはなかったし、これはブログに書いた。

 正月はつらい。おめでたい気分なんて微塵もない。顔を合わせる親族それぞれ、みな大変なことがあるのだと知っている。でもそこには触れない。みんなしんどい。この先がどうなるのかわからない。当たり障りのない会話をして、何事もないかのように振る舞うが、当然のように実は知っているのである。でも、その知っていることを絶対に話題にはしない。現実に、この家の中に存在しているのに。

 大人の振るまいと言えば聞こえはいいが、茶番であるし虚無である。毎年毎年これを続けて、よくみんなすり減らないなぁと感心する。それとも本当に、わたし以外は誰も気にしていないのだろうか。諦めているのだろうか。いや、諦めて割り切れるようなことなのだろうか。だってあんた、昔は言ってたよね「うちは異常だ」って。うん、わたしもそう思う。そしてそれを言える立場なのは、君だけだとすら思っていたよ。でももう、そんなことを口にしてもしょうがないという感じになっている。そりゃそうだ。時が流れて優先順位が変化したのだから、もうわざわざそんな危険な真実を口にするリスクなんて負う必要はないのだ。

 そしてもう誰も現実を見なくなった。語らなくなった。不都合なことは、嫌なことは、まるで存在していないもののように扱うことで平穏を演じるようになった。この場にいる幼児は、大人のそんな事情など知らないだろう。でもいつか知ることになる。そのときが怖い。心底怖い。この人たち、それを想像したことあるのかな? と考えてしまう。わたしが考えてもどうしようもないことを。まるで間違っているのは、頭がおかしいのは自分のようにも感じるし、実際に自分の思考はネガティブに暴走しがちなのでその通りなのかもしれないとも思う。どちらにしても救われないが。

 そんな感じで二〇一九年も始まってしまったらしい。そう、生きているかぎり、この地獄の延長戦は続くのだ。